生まれたての声【下】 誰もが被差別の順番待ちだ!

  1. オリジナル記事

◆2回目の手話サークルで起きたこと

 太田さんへの取材を終えた私たち2人は、数日後にまた手話サークルに参加していた。今回は前半がレクリエーション、後半は私たちの質問時間だった。

 レクリエーションは、小学校で行われるそれと大差ない。割り当てられた班の中で議論し、雪山で生き残るために10個の道具について大切さの順位を決めるという内容だった。班の中にはもちろん、ろう者の人もいた。私は時に彼らに手話を教わりながら、指さしや身振り手振りを使ってどうにか議論に参加した。全員が各々の思いを手話で表現し、全員でそれを聞き取れるように努力した。

 私たちが質問するタイミングになり、2人はホワイトボードの横に椅子を持っていった。質問は、相方の女性が考えたものだ。

 まず彼女は、健聴者に覚えておいてほしい手話があるかと尋ねた。彼らの回答は1つだった。単語よりも重要なのは伝えようとする意思であり、必須の単語などはないということ。ろう者は口話や表情を重点的に見ているから、どこかで出会った時はゆっくりと身振りや指差しなども使ってコミュニケーションを取ってほしい、と。あとは筆談の準備などがあってもよいという。

 必要なのはゆっくり時間をとって応答する心の余裕なのかな、と私は考えていた。私のバイト先のレジの下には必ず筆談用のボードや紙が入っている。これを使ったコミュニケーションはとても時間がかかり、面倒なものだと思う気持ちもわかる。混雑している時にそんな対応が必要になったらこちらがパニックに陥ってしまうかもしれない。だが、そういう時にも落ち着いて、筆談などで会話に努めることで私は初めて彼らの支援者になれるのだと思う。
「助けてあげよう」ではなく、「話をしよう」。私はそうしようと思った。

 2つ目の質問。手話サークルに参加している健聴者に対して、なぜ参加したのかを尋ねた。

 私は初めてサークルに参加した前回、健聴の参加者には耳の聞こえない親族がいるのだろうと勝手に思っていた。だが、そんな話は一度も出てこない。ある人は、小学生時代に見た手話がかっこよく見えたからと答え、ある人は職場のろう者と話したかったからと言った。もちろん手話で。健聴の参加者は全員、人生のどこかのタイミングで手話に魅了され、話してみたいと思いこの世界に飛び込んできた人たちだった。

 私は単純に「すごい」と思った。好奇心や知りたいという気持ちを行動に移し、それが実を結んでいることを。彼らの心には、ろう者と健常者の壁なんてはなからなかったのだろう。手話を話せることがさらにかっこよく見えた。

 私は会の終わりに代表者の石田さんを呼び止め、来週からも続けて勉強させていただきたいと伝えた。

◆ビル3階の駅のホーム

 サークルが終わり、私は駅へと向かった。

 その街には駅が2つある。JRの新杉田駅と京浜急行電鉄の杉田駅だ。用があった私は会場から少し離れているJRの駅に向かった。商店街を抜けると、道の先に踏切がある。新杉田駅の改札は踏切の右手に立つビルの3階だ。

 その日は、商店街を歩いている時からすでに違和感があった。いつもより、駅の反対方向へ向かう人が多い。サイレンの音が絶えず鳴っている。普段聞かない騒めきがあった。商店街を抜けると、目の前の踏切に電車が止まっていた。手前の道路には赤色灯をつけた車が並んでいる。ちょうど10分前にその踏切で事故が起きたらしい。

 私はビルに入り、改札へ向かった。改札の前には、電車遅延の時にお馴染みの人混みがあった。イヤホンを外した私は、その時やっとその声に気がついた。あうあうという言葉にならない声が少し不気味なほど大きな音量で発せられていた。改札の横を見ると、駅員の方を向く見覚えのある後ろ姿。初めてサークルに参加したときに最初に入ってきた、小人帽子の女性だった。

 駅員はマスクをつけながら棒立ちで、筆談用の紙も出していなかった。まるで何を言っているかわからないといった表情で、彼女と会話しようという態度さえも見せていない。周りを見ると、全員が全員、関わりたくないという顔でスマホをいじっていた。サラリーマンも、女子高生も、主婦も、おじさんも。その光景を私はやけに覚えている。

 小人帽子の彼女はこの時、大勢に囲まれた孤独を感じていたのだろう。初めてサークルに参加した時の私のように。

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 私はマスクを外して彼女の肩を叩いた。彼女は不安そうな表情で、目に涙を溜めていた。私は、練習していた手話で改めて自己紹介し、彼女の言葉を読み取ろうとした。しかし、何を伝えたいのかがわからない。どうにかスマホの文字や口話を使って言葉を紡いだ。電車が動き出すまであと1時間はかかること、もう1つの駅からならあなたの家の近くまで帰れること、自分には時間の余裕があるから駅まで送っていくこと。改札横で2人、静かな問答を続けた。

 結果、彼女をもう1つの駅まで見送ることに落ち着き、私たちは歩き出した。世間話などできるわけはない。私は沈黙の中で考えごとをしていた。それは「もしかしたら、ろう者にのみ見えている世界があるのかもしれない」ということだった。先ほど見た彼女の表情は、私たちには見えない何かに怯えているようだったからだ。

 健聴者もろう者も、楽しいことは同じ、言葉の調子も同じ、性格やパーソナリティの部分も同じ。ただ、ろう者の自分を見る健聴者の目だけが違っていたのだ。自分はここにいるのに誰も認識してくれない。助けを呼んでいるのにその声は不気味がられてしまう。強烈な孤独感を抱いていたことが表情から伝わった。

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