若者の“孤独”に向き合うNPO 「死にたい、消えたい」という相談から見えるもの

  1. オリジナル記事

◆「誰かとつながりを持ちたい」という感情は生理現象

 ――「孤独」とは、どんな状況、どのような意味を指すのでしょうか。

 実は、「孤立」と「孤独」はまったく異なる意味を持ちます。「孤立」は自分の選択肢で、1人になることです。

 例えば家族やコミュニティと接触がほとんどないことを指します。一方、「孤独」とは自分で意図せず、1人になることです。自分は他人と結びつきを持ちたいのに、現実はそうならない。そのギャップから孤独が生じてしまうから、孤独は苦痛を伴うのです。

 「あの人はいつも笑顔で楽しそうだ」と他人から見えている場合でも、実際は家庭内暴力など何かに苦しめられていて、相談できる人がいないというケースもあります。「弱みを見せてはいけないと育てられてきたから」というケースもあるでしょう。家族や友だちがいても、誰にも頼れないため、孤独となっているケースがコロナ禍で多くなっているのです。

 「孤独を愛せ」「孤独が人を強くする」。こんな文言を耳にしたことも多いのではないでしょうか。歌詞などによく使われがちですね。この文言は、孤独を押しつけているにすぎません。誰かとつながりを持ちたいという感情は生理的な現象です。

 そもそも誰かに頼らないと生活はできません。そんな当たり前のことなのに、なぜそれを否定するのでしょうか。お腹が空いている人に、「飢餓を愛せ、飢餓が人を強くするから」と説得しているようなものです。

 「孤独は自分で対処しろ」という社会が、(本来は個人の責任とは言い切れないものを)自己責任論に落とし込んでいるわけです。自己責任とは、もともと大人の世界で使われていたもので、自分の選んだことを自分の責任として担い、自尊心を高めるものだったはずです。

(イメージ)

◆「誰かに頼ることは恥」という考えにとらわれている

 ――コロナ禍で大勢の若者が苦しんでいます。それに対する自己責任論の高まりは、社会がどのように変化した結果なのでしょうか。

 コロナ禍というより、社会が豊かになっていく過程で、人々は「個々の能力を高めればもっとよりよい社会が訪れる」と考え始めました。必然的に競争社会が訪れ、当人には変えることのできない生育環境や家庭環境にまで、自己責任論の対象は広がりました。自分を苦しめるだけの、懲罰的な自己責任論にすぎませんが、それが10~20代の若者にも広がりました。

 「死にたい」「消えたい」とわれわれに相談してくる人の話を聴き続けてみると、「自分1人で乗り越えなくてはいけないと思ったから」「家族や友人に心配をかけられないから」という背景が浮かんできます。誰かに頼ってはいけない、相談してもいけない、それは恥だという考えにとらわれている。まさに「孤独」です。

 そうした状況を考えると、若者の気持ちをまずは素直に受け止められる傾聴姿勢が求められていると言えるでしょう。その人の気持ちに寄り添うことから始まり、共感する。そして、存在を肯定した後で、アドバイスなどするべきです。親子との会話も同じ。まずは子どもの話に口を挟んではならないのです。

 新型コロナの感染拡大により、自粛を余儀なくされ、自分の思ったように行動ができない。誰もがストレスを抱えているため、社会全体の余裕がなくなっているのも現実ですが、「声を上げられない」若者たちのことに社会がもっと関心を向けてほしい。

 政策面では、孤独・孤立対策の官僚や大臣などのポストが設置されましたので、あとは十分な予算が早急に組み込まれ、法律が施行され、行政による支援が全体に行き渡ることを望んでいます。

(初出:東洋経済オンライン 2022年4月15日 『多くの現代若者が苦しむ「望まぬ孤独」悲痛な実態』)

■参考記事
NPO法人「あなたのいばしょ」(公式サイト)
『“声なき声”を拾い、集め、現代の貧困を活写したNNNドキュメントの秀作「ネットカフェ難民」』(調査報道アーカイブス No.46 2021年11月20日)
『自腹買取り、突然の賠償請求、欠勤への罰金―コンビニバイトが訴える実態』(フロントラインプレス・藤田和恵 2018年10月11日)

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板垣聡旨
 

記者。

三重県出身。ミレニアル世代が抱える社会問題をテーマに取材を行っている。

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