「検察官は誰のために仕事しているのですか」/子を失った両親と共に歩んだ「隼君」報道

  1. 調査報道アーカイブズ

◆キャンペーン企画「交通禍 隼君事故の問いかけ」始まる

 これを機に毎日新聞は交通事故取材班を立ち上げ、キャンペーン企画「交通禍 隼君事故の問いかけ」に着手した。他の事故事例も取り上げ、事故捜査全体の問題点や被害者対策の遅れなどを問いかけたのである。

 世間の批判を受けた東京地検は7月、東京高検の指示を受け、検察審査会の結果を待たずして事故の再捜査に乗り出す。ポイントは、ダンプとの衝突地点までの隼君の行動だった。地検はこの時点では「隼君の飛び出しの可能性も否定できない」と見ていたからだ。やがて、新たな目撃者が名乗り出た。ミニバンを運転し、ダンプの対向車線で信号待ちをしていた男性会社員だ。男性はダンプに向かって「子供が(前に)いるぞ」と運転席の窓から大声を出し、クラクションを何度も鳴らした。それにもかかわらず、ダンプは歩行者の安全確認を怠って発進した。事故当日に110番通報し、連絡先も伝えたのに警察から呼び出しは来ない。それでも、再捜査を知って名乗り出たという。

 この証言が決め手となって10月下旬、東京地検はダンプの運転手を業務上過失致死罪で起訴した。道交法違反(ひき逃げ)については再び不起訴(嫌疑不十分)となったものの、地検の交通部副部長は隼君の両親に「新たな目撃証言が出ていろいろなことが分かりました。当初の捜査が不十分であったことは認めざるを得ません」と語ったという。

東京高検・東京地検の入るビル

◆報道も「事故の日常化」に慣れ、流されていた

 隼君の事故死をめぐり、遺族に被疑者の処分結果を伝えなかった問題は国会でも取り上げられた。法務省は1999年2月、すべての事件を対象に処分結果などを通知する「被害者等通知制度」の実施を全国の検察に通達した。警察庁も98年9月、原因究明が困難な交通死亡事故を取り扱う「事故捜査指導官」を各警察本部に新設することを決定。交通事故の捜査を適正に行うことや被害者対策の推進を全国の警察に命じた。

 キャンペーン取材の経緯は『隼君は8歳だった ある交通事故死』に詳しい。そのあとがきで、事故当時の社会部長だった朝比奈豊氏はこう記している。

 車社会に生きる私たちはいつ被害者になっても不思議ではないし、運転する人は加害者になりうる。これは恐ろしい現実だが、「事故の日常化」が私たちの感覚を鈍くさせてきたのではなかったか。捜査当局の交通事故に対する姿勢もその延長上にあったと思う。それを批判する新聞もまた、事故の日常化に流されて来なかったか。(中略)片山隼君は私たちにそうした「慣れ」の怖さを教えてくれた。

 一連の報道は地検に捜査の誤りを認めさせただけでなく、社会を大きく変えたのである。

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■参考URL
単行本『隼君は8歳だった ある交通事故死』(毎日新聞社会部取材班)

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本間誠也
 

ジャーナリスト、フリー記者。

新潟県生まれ。北海道新聞記者を経て、フリー記者に。

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