桶川ストーカー殺人事件報道「脱発表」の真骨頂

  1. 調査報道アーカイブズ

桶川ストーカー殺人事件報道清水潔氏(1999年〜2000年)

[調査報道アーカイブズ No.93]

 当然のことながら、調査報道は大手マスディアの専売特許ではない。週刊誌であれ、個人で活動するフリージャーナリストであれ、確固たる意思と的確な取材手法があれば、かなりのことができる。それを如実に示したのが、清水潔氏による「桶川ストーカー殺人事件」に関する調査報道だった。この取材は警察発表に極度に依存している日本の事件事故報道の在り方に、大きな警鐘を鳴らすことにもなった。

 事件が起きたのは、1999年10月26日午後1時ごろである。埼玉県上尾市に住む女子大学生(当時21歳)が、元交際相手の男(当時27歳)ら犯人グループから執拗な嫌がらせを受けた末、同県桶川市のJR桶川駅西口前の路上で、胸と腹部をナイフで刺され出血多量で死亡した。事件発生後、新聞やテレビニュースは、多くの事件と同様、警察発表の情報に依存してニュースを作り、流し続けた。そんな中、警察発表の内容に疑問を持ち、独自の取材を進めたのが、当時は写真週刊誌「FOCUS」の記者で、現在は日本テレビ記者の清水氏である。

 清水氏は調査報道によって警察より先に刺殺犯を特定する。それだけでも驚くべきことだが、この調査報道の真骨頂は、事前に被害者側から相談を受けていた上尾署の怠慢ぶりを完膚なきまで明るみに出したことにある。警察がしっかり相談を受け止めていれば、事件は未然に防止できた可能性があったのだ。

◆捜査の怠慢を隠す警察発表 それを覆す取材

 事件の流れと上尾署の対応は、どのようなものだったか。

 元交際相手の男性は「車のディーラー」などと身元を偽って被害者と交際していたが、被害者が交際を打ち切りたいと言うと脅迫し、女性やその家族を中傷するビラを自宅周辺にばらまくなどした。徹底したつきまとい、ストーカー行為である。恐怖した女性や家族は事件発生の4カ月ほど前から、上尾署に繰り返し被害を訴え出た。「殺害も示唆されている」と伝えたものの、警察は動かない。「プレゼントもらってから別れたいと言えば、普通、怒るよ、男は。いい思いしたんじゃないの? 男女の問題に警察は立ち入れないんだ」などと言うばかりだった。

 女性側が告訴しても動く気配すら示さず、そして女性は殺害された。

 警察は事件の第一報を発表する際、自らの捜査の怠慢を隠すためか、「被害者の所持品はグッチの腕時計、プラダのリュック」などと意図的とも取れる不必要な発言を行い、新聞やテレビ記者らに「遊び好きでブランド好きな若い女性が事件に巻き込まれたのでは」と印象付けた。このため、テレビのワイドショーや週刊誌などの関心は被害者女性の私生活に向い、「女性にも付け込まれる隙があったのでは」といった、まるで被害者にも非があったかのような報道が量産された。それどころか、一部では女性について「風俗店勤務」など虚偽の情報も出回った。

 そうした中、清水氏は被害者の友人と丹念に接触し、①被害者女性は元交際相手の男とそのグループから深刻なストーカー被害を受けていた②被害者が上尾署に訴えても不誠実な対応を繰り返されていた、といった証言を得た。そして、そうした情報の裏付けを重ねていく。やがて清水氏は取材結果を「FOCUS」に発表。「ストーカーに狙われた美人女子大生の『遺言』」「親友に託した犯人名」というタイトルで記事を公開し、続く号では元交際相手の実像について「『裏風俗、当り屋、偽刑事』女子大生刺殺事件キーマンの顔」として報じた。

 清水氏はさらに独自取材を通し、元交際相手が経営する風俗店の従業員と桶川駅から逃走した刺殺犯の容姿がぴったりであることをつかむ。その男の氏名や立ち回り先も割り出し、カメラマンと長時間、張り込んだ。刺殺犯の撮影に成功したのは、事件から1カ月余りが過ぎた12月6日である。警察の捜査員らしい姿は周辺に見かけなかった。

 「どうすれば犯人が逮捕されるか」―。

 考え悩んだ末、清水氏は犯人グループに関する情報を写真と共に上尾署に提供。警察はその3日後、刺殺犯を逮捕した。

 取材はまだ終わらなかった。

 清水氏は翌2000年1月12日発売の「FOCUS」で、「桶川女子大生刺殺『主犯』を捕まえない埼玉県警の『無気力捜査』 事件前の対応から問題」という記事を掲載した。上尾署の捜査の怠慢ぶりを追及する内容で、「主犯」とは元交際相手のことだ。元交際相手から執拗な脅迫や嫌がらせを受け、それを警察に相談したのに、取り合ってくれなかったこと。被害者が告訴状を警察に提出した際は、取り下げるよう要請されたこと。この号の記事では、そうした警察捜査の裏面を暴いてみせた。

◆規制法を制定するきっかけに

 清水氏による「FOCUS」記事によって、女子大学生の刺殺事件は警察による怠慢捜査に大きなスポットが当たった。国会でも連日のように質問が続き、警察庁長官、同庁刑事局長が対応に追われていく。最終的には、被害者から寄せられた脅迫や尾行、中傷ビラの散布などの被害の告訴状を被害届に改ざんするなどしたとして、上尾署刑事二課長、係長ら3人の警察官が、懲戒免職処分となった。さらに埼玉県警本部長以下12人が減給、戒告処分を受けた。

 一方、この事件により、「ストーカー」行為に対して法的にどう対応するかも問われ、2000年にストーカー規制法が制定された。

 被害者の元交際相手は2000年1月に北海道内で自殺していたことが後に判明した。女子大学生の殺害に直接関与した4人には無期懲役から懲役15年の判決が出され、2006年に刑が確定している。被害者遺族は埼玉県に対して国家賠償請求訴訟を起こし、上尾署の捜査怠慢については賠償責任が認められたが、捜査怠慢と殺害との関連は認められなかった。

 

■参考URL
「桶川ストーカー殺人事件―遺言 (新潮文庫)」
「騙されてたまるか 調査報道の裏側 (新潮新書)」
(4)桶川ストーカー殺人事件の重い教訓(毎日新聞)
「娘は3度殺された」教訓を忘れるな―遺族の訴え(47NEWS)

本間誠也
 

ジャーナリスト、フリー記者。

新潟県生まれ。北海道新聞記者を経て、フリー記者に。

...
 
 
   
 

関連記事