水曜日の面会

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水曜日の面会 (2021.3.4 SlowNews)

 私は2020年10月から毎週水曜日、「牛久の会」が東日本入国管理センターで行っている面会活動に同行している。パキスタン人のカリール、ベトナム人のトラン……。「収容者」との度重なる面会を通して、多くの日本人が知らない「現場」が見えてきた。

◆「刑務所の方がいいです」

 「着てきてくれて、ありがとう!」

 パイプ椅子から飛び上がるような勢いで、柴﨑和男(67)は透明のアクリル板に両手を張り付けた。向こう側の扉から車いすで入ってきた男が灰色のトレーナーを着ていたからだ。1週間前の水曜日に柴﨑が差し入れたものらしい。トレーナーの胸には、文字らしき刺繍が見える。

 アクリル板を挟んで、男と柴﨑が向き合った。向こう側との隙間はテープできっちりと覆われ、肉声はきちんと届かない。新型コロナウイルスの感染防止のためだという。そのせいで先方の声はくぐもり、耳を慣らすのに時間がかかる。私は柴﨑の横に並んで座り、やや声量を上げて、「なんて書いてあるんですか?」と尋ねた。男の口が開く。

 「これ、ウルドゥ語。英語で言うと、Health is wealthとかですかね」

 その男、カリール・ムスタファ(57)の言葉は、流ちょうな、どこか北関東のなまりも感じさせる日本語だ。髭には白いものが交じっている。

 11月の第1水曜日、最高気温は17度ほど。穏やかな一日だった。茨城県牛久市にある東日本入国管理センターの面会室での対話はこうやって始まった。

◆「ここ、カウントダウン(収容終了の見通し)がないんですから」

 法務省の説明によると、入国管理センターは「日本から退去を強制される外国人を、送還するまでの間収容する施設」。同様の名のつく施設は国内ではもう一つ、長崎県大村市にある。カリールはこの牛久のセンターに長く収容されているパキスタン人。そして、柴﨑は収容されている者との面会活動を続ける市民団体「牛久入管収容所問題を考える会」(牛久の会)のメンバーだ。

 私は1カ月前にも牛久センターの面会室でカリールと会った。

 そのとき、彼は「ジャーナリストは何人も話を聞きにやって来たが、誰も書かないですよ」と言い放った。元気に歩けなくなって、かなりの月日が経つという。細い脚がそれを物語っていた。上は相撲絵のTシャツ。車いすの背もたれには、大きな茶色の紙袋が載せてあった。その日は、カリールがカシミール地方の出身であること、1987年に来日したことなどだけを聞き、面会室を出た。

 2回目の面会となったこの日、彼の表情は前回より柔らかい。笑顔で会話を始めたカリールと柴﨑の間に割り込んだ。
――前に会った時、相撲柄のTシャツを着ていましたね?
「ああ、そうでしたかね。あれも差し入れしてもらったんですよ」
カリールの相撲好きを知って、柴﨑が選び、差し入れたものだったらしい。
「そういえば」と柴﨑が身を乗り出してきた。「前回の面会で聞いてびっくりしたよ。ボビー・フィッシャーの話。帰って調べてみたら、やっぱり日本で収容されてたみたいだね」
――ボビー・フィッシャー?
「米国人の天才チェスプレーヤーだよ。知らない? 世界一になって、奇行でも有名だった人。カリールさん、この収容所で見たんだって。ねぇ?」

 カリールが深くうなずき、こう語った。

 「本当。彼、ここにいたんですよ。見たよ。同じ時に私もいたから。彼、(東京都内の)蒲田駅で捕まった。ビザも持ってたのに、日本は米国との関係で収容したんですよ。彼がここから出た時、BBC(英国の公共放送)でやっていました。ここではBBCが少し見られるんだけど、いつものように見ていたら、彼が空港でインタビューされてるの。このセンターについて、どうだった?と聞かれてた。その時に、やっぱり本物だったと分かりました」

柴﨑和男(撮影:益田美樹)

 カリールはさらに続けた。
「北朝鮮のあの人もここにいた。あの、名前なんだったっけ、フィリピンかどこかで殺された……」
もしかして、キム・ジョンナム? 北朝鮮の最高指導者・金正恩の異母兄、金正男は確かに2017年2月に海外で殺害されている。フィリピンではなく、マレーシアのクアラルンプールでのことだったが。
――その金正男に会ったんですか?
「いえ、私がここに来る前にいた、というのを聞いた。入れ違い」
――浦安の東京ディズニーランドに行こうとしてた、っていうあの時の…?

 面会室内のくぐもった声に耳も慣れ、柴﨑と私はあれこれと質問を繰り出した。カリールは相変わらず淡々とした口ぶりながら、会話を楽しんでいるようにも見える。ただ、話題が収容所内の処遇に及ぶと、カリールは再び顔をしかめた。

 「ここは(国際的な基準に沿った)収容所じゃないよ。5年、6年もいる人がいるでしょ。ヤドラ―さん、刑務所(での刑期が)終わったのに、ここに連れて来られてずっといる」

 ヤドラ―とは、被収容者仲間であるイラン人だ。

 「刑務所から来た人は、『刑務所の方がいいです』と言っている。ここ、カウントダウン(収容終了の見通し)がないんですから」

 職員が「30分です」と面会時間の終わりを告げに顔を出した。カリールはこちらに会釈をした後、職員に車いすを押されて、扉の向こうに消えた。車いすの背もたれには、初めて会ったときと同じ茶色の紙袋がある。「あの紙袋の中身、知っていますか」と柴﨑が話し掛けてきた。
「けがをした時のレントゲン写真とか、いろいろ入っているんです。必要な時に適切な医療を受けられなかったとか、ここで起きた納得いかない出来事の記録です。面会に毎回持ってくる。それをこちらに見せながら説明するんです。まずは、それを全部聞かなきゃと思っています。彼が、この先のことを前向きに考え始められるように」

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 この記事はサブスクの「スローニュース」に掲載された連載「水曜日の面会」第1回の冒頭です。連載は計10回。第1回の公開は、2021年3月4日でした。取材者はフロントラインプレスの益田美樹さんです。
入管施設の外国人に対する劣悪な扱いは、名古屋の施設で2021年3月にスリランカ女性(33)が死亡したことで大きな社会問題となり、入管施設での処遇に焦点が当たりました。益田さんはその問題が起きる前から茨城県牛久市の入管施設に通い、収容されている外国人たちの声を聞き、その実態をルポの形で問いかけました。
記事の全文は、スローニュースのサイトで読むことができます。以下のリンクからアクセスしてください。会員登録が必要です。
https://slownews.com/stories/nXeCW64kivc/episodes/sbLtPxnjf-U

 

益田美樹
 

フリーライター、ジャーナリスト。

英国カーディフ大学大学院修士課程修了(ジャーナリズム・スタディーズ)。元読売新聞社会部記者。 著書に『義肢装具士になるには』(ぺりかん社)など。

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