ある日突然「不発弾が出た」高額負担迫られる地主も――戦時の遺物、法律はあいまい

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ある日突然「不発弾が出た」高額負担迫られる地主も――戦時の遺物、法律はあいまい(2019・10・17 Yahoo!ニュース特集)

 第2次世界大戦中の遺物であっても、不発弾は今も爆発する恐れがある。それがあなたの生活圏や自分の土地で、ある日突然、見つかったら?――。
実は、日本では今も再三、各地で不発弾が見つかっている。年間の処理数は約1400件。今年に入っても、沖縄県や鹿児島県、名古屋市、札幌市などで住民を避難させての不発弾処理が自衛隊の手で行われた。日本では、不発弾処理に関する責任の所在が法的にあいまいで、地主らが高額の処理費用を請求されたこともある。現場で何が起きているのか。

撮影:当銘寿夫

◆東京五輪の会場間近で「処理」

 3連休最終日の今年9月16日。
東京都江東区の有明地区のマンション建設現場に、早朝から自衛隊員や区の担当者らが続々集まってきた。来年の東京オリンピック・パラリンピックでテニス競技の会場となる「有明テニスの森」はすぐそこ。豊洲市場も間近だ。
処理の開始は朝8時半。住民らは近隣の学校に避難し、付近の交通も一時的にストップさせた。
不発弾の処理を担当したのは、陸上自衛隊東部方面後方支援隊第102不発弾処理隊である。埼玉県の朝霞駐屯地にあり、関東地方で不発弾が見つかるたびに出動する。
この日は、中森勇第一処理班長が隊員3人と一緒に処理壕に入り、信管を取り外す作業に当たった。

信管を抜いた不発弾をつり上げる(撮影:当銘寿夫)

 1時間ほどの作業中、雨は片時もやまなかった。70年以上前の爆弾とはいえ、一歩間違えれば、大惨事になる。
作業を終えた後、中森班長は「普段の訓練通りやりましたので、大きな緊張はありません。ただ、雨が降っていたので、滑りやすいところには十分注意してやりました」と話した。

◆27年ぶりの不発弾 区役所も戸惑う

 この場所での処理は、実は今年3回目だった。
江東区危機管理課の山田英典課長は言う。
「不発弾の撤去処理作業は、区としても1992年以来、27年ぶりです。どうやればいいのか、分かる人もいないし、慣れてもいない。全庁挙げて協力しないといけない、となりました。北区と港区も平成の時代に(不発弾処理が)あったので、対応の状況を聞きながら、私たちも走ってきた。費用をどうするんだとか、豊洲市場の休場日に合わせないといけないとか」

 実際、今年4月5日に1発目が見つかると、区役所内はてんやわんやだったようだ。不発弾は米国製の500ポンド焼夷爆弾で、重さ250キロ弱。全長は120センチ、直径は約35センチある。起爆させる信管が残っていたため、そのまま敷地外に運び出すのは危険で、現地で「安全化処理」する必要があった。
江東区によると、250キロ弱の焼夷弾を信管処理する場合、通常、半径250メートルから300メートルの範囲を警戒区域に指定しなければならない。指定されたエリアは立ち入り禁止だ。現場を中心に円を描くと、総戸数約600戸の高層マンション、清掃工場、レインボーブリッジも含まれた。首都高速道路も通行止めにする必要がありそうだった。
山田課長が続ける。
「もっと狭めないといけないとなって、困った、困った、と。自衛隊さんに『うまい方法ないですか』と尋ねたら、防護壁を造るやり方がある、と」
鋼板製の防護壁で囲って1トンの土のうを積み上げれば、警戒区域の半径を100メートルぐらいに狭くすることができる。

東京大空襲・戦災資料センターの比江島大和学芸員(撮影:当銘寿夫)

 「処理の当日は、警戒班とか誘導班とか、要員がたくさん要る。その送迎バスを借り上げる費用なども発生します。(防護壁を造って避難区域を狭めたほうが)たぶん、トータルの費用は少なくなるんじゃないか、となって対策本部で設置を決めました」
防護壁の設置費用は、1回で約2600万円。不発弾は3発とも半径約15メートルの狭い範囲で見つかっているので、同じ場所で防護壁を「造っては壊し」を繰り返したことになる。その費用を地主に請求するかどうか。それも検討しているという。

◆「昔、戦争があったんだと実感」

 有明の不発弾処理は、関係者にいろんな思いも引き起こしたようだ。
多い日には1日1000人超の利用者がある「有明スポーツセンター」は、現場と道路一本挟んだ場所にある。範囲を狭めても、3回ともすっぽりと警戒区域に入っていた。
所長の上野宣明さん(50)は言う。
「(処理日の)1カ月ほど前から張り紙を出していたんですけど、利用者から『また出たんですか』という声がありました。私も今まで、こんなふうに直接不発弾の問題に携わることはなかったので……。戦後生まれですけど、歴史の中で、昔(戦争が)あったんだなと実感しましたね」

 江東区内には、東京大空襲の戦禍を伝える民間の資料館「東京大空襲・戦災資料センター」がある。
学芸員の比江島大和(ひろと)さん(37)は、有明地区で発見された不発弾の写真をじっくりと見て、「形状などから米軍の焼夷爆弾『M76』だと思います」と言った。

江東区の不発弾処理現地対策本部。ホワイトボードに必要事項が書き込まれていた(撮影:当銘寿夫)

 米軍の報告書によると、「M76」は東京への空襲で使用された焼夷弾の中で最も大きいタイプだ。貫通力が強く、重構造の建物を狙うために使われたとされる。
東京への空襲で使用されたのは1回きり。1945年5月25日の深夜から26日未明にかけてだったという。M76を搭載した米軍機は、東京湾から皇居南側を目指して飛行したとの記録が残っている。

 「米側の報告書要約を見ると、狙った地点に投下したものとは別に、10機が(目標ではない場所に)投下、4機が弾倉庫のドアに問題があって落とした、とあります。そういった米軍機が、目標地点だった皇居南側より手前に落としたのかもしれないですね。1947年の航空写真を見ると(今回の不発弾発見場所は)まだ海です。埋め立ては戦前に始まったようですが、当時は浅瀬か泥沼みたいな場所だったんじゃないでしょうか」

◆列島各地で不発弾 毎年約1400件を処理

 日本は「不発弾列島」でもある。
防衛省統合幕僚監部によると、2018年度は全国で1480件の不発弾を処理した。安全化処理した重量は約53トン。このうち、半分近くを沖縄県が占めている。1年間で4000件を超えていた1970年代後半と比べると、相当に減った。それでも近年は1400件前後の処理が続き、過去には沖縄県や三重県などで爆発による死亡事故も起きている。
不発弾の処理にはさまざまな問題も潜んでいる。
信管を抜き取って安全化する作業については、自衛隊が任務として遂行している。江東区のケースがそうだったように、防護壁を築いたり、住民を避難させたりすると、高額の費用もかかる。

横浜に焼夷弾を落とすB29爆撃機=1945年5月(国立米空軍博物館提供)

 戦時中、米軍は日本各地で空爆を実行したから、不発弾は多くの国民に無縁ではないかもしれない。
滋賀県に住む上枝哲郎さん(61)も、不発弾に関して思わぬ経験をした。2015年、3月の月曜日だったという。
午前10時すぎ、上枝さんの携帯電話が鳴った。相手は、大阪・ミナミの工事業者。電話口で現場監督は「不発弾が出た」と言う。上枝さんは当時、ミナミの所有地でマンション建設を進めていた。
「うまくのみ込めなかったですよね。『大変なことや』いうのは分かりますけど。次、どうしたらええかも分からなくて」
現場に急ぎ、地中から顔をのぞかせている実物を見た。米国製2000ポンド爆弾。重量は1トン、長さは1.8メートルもある。
「ほぼ全体が見える状態でした。弾頭と弾底に信管があるんですけど、弾頭が上を向いていて。自衛隊の方が、間違って信管が動かないようにするキャップをしたんですけど、正直なところ、怖いなと思いました。本当に怖かった」

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 この記事は<ある日突然「不発弾が出た」高額負担迫られる地主も――戦時の遺物、法律はあいまい>の前半部分です。記事は2019年10月17日、Yahoo!ニュースオリジナル特集で公開されました。フロントラインプレスのメンバー、当銘寿夫さんが取材・執筆を担当しています。
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