「沈黙して生きていくことに耐えられない」教師による性被害を彼女が「実名告発」する理由(2020・2・12 Yahoo!ニュース特集 )
◆クリニックで 「ここでは何でも話せる」
中学校の卒業式前日、15歳。教諭からわいせつな行為をされた。以後、高校から大学までの約4年間、性的関係を拒否することができなかった。それからおよそ20年後、PTSD(心的外傷後ストレス障害)を発症した。好きだった? いや、違う。「先生のすることは正しいと思っていた。疑うことができなかった」。ようやく記憶と感情を整理することができるようになった。そして、損害賠償を求めて民事裁判を起こし、実名で性被害を告発した。訴訟のハードルが高いことは分かっている。それでも「被害に沈黙して生きていくことに耐えられない」と彼女は言う。
フラワーデモでスピーチした石田さん=2020年1月(撮影:高木哲哉)
東京・新宿。
東京女子医科大学の近くにある小さなグレーのタイル調の外観、3階建てのビル。そこに「若松町こころとひふのクリニック」はある。
2019年暮れの夕刻。石田郁子さん(42)はそこで加茂登志子医師の診察を受けていた。ここでは好きなことを話していい。
クリニックに来る前、中華料理店で食事を終えると、石田さんは「ああ、おいしかった」と言い、そう感じた自分に少し驚いた。食べて満たされる感覚が戻りつつある。それまでは「甘い」「しょっぱい」などの味覚はあっても、食べた気がしなかった————。
そんなことを伝えると、加茂医師は言った。
「身体感覚が戻ってきているわね。楽しい感情が感じられるようになったら、苦しい感情も出てくる。生々しい感情が一気に出てきて大変かもしれないけど、それも慣れていくわよ」
石田さんは「これまでの苦しい感情が分かり始めたら、かなり怖い」と言った。昔のことを思い出し、「漠然と自殺するんじゃないかと思うこともあった」とも言った。
加茂登志子医師(撮影:高木哲哉)
石田さんが初めて加茂医師に診てもらったのは、2016年2月である。
当時、加茂医師は東京女子医科大学教授で附属女性生涯健康センターの所長。「15歳から19歳のときに受けた教師からの性的被害による、遅延顕症型PTSD」と診断された。「遅延顕症型」とは、外傷的出来事から6カ月以上経って発症するケースを指す。
さらに、PTSDの発症以前から「長期にわたる適応障害があり、対人関係や社会性の発達に大きな影響を及ぼしている」ともされている。
それ以来、石田さんはグループ療法に参加し、加茂医師が東京女子医大を辞した後も月に1回程度、診察を受けている。
石田さんは2019年2月、当時の教諭らを相手取り、計3000万円の損害賠償を求めて東京地裁で裁判を起こした。その記者会見で、実名も顔も明らかにした。
加茂医師はその裁判で石田さん側に立ち、意見書を提出している。同様の意見書はこれまで、民事・刑事の裁判で80件以上も書いてきたという。加茂医師によると、子どもの性被害では10〜20年後にPTSDを発症するケースは珍しくない。海外では50年以上経ってからの症例も報告されているという。
石田郁子さん(右)と加茂医師(撮影:高木哲哉)
◆中3のとき、先生から美術館に誘われて
石田さんは、どんな青春時代を送ってきたのだろうか。最近、それをようやく、人に話せるようになった。
札幌市郊外の中学生時代。成績はよく、生徒会長やソフトボール部の部長も務めた。漫画や絵を描くのが好きだった。美術科のある私立高校の併願受験を希望していた。
中3の春に転任してきたのが、美術担当のその男性教諭である。当時28歳だった。
美術科の入試には実技がある。別の生徒とともに放課後に月数回、教諭から個別指導を受けるようになった。
家族の意向もあって美術コースを諦め、公立の普通科高校へと進学することにした。1993年3月、卒業式の前日に教諭から「招待券がある」と言われ、札幌市の北海道立近代美術館に誘われた。
美術館で腹痛を覚えると、車で教諭の自宅に連れて行かれた。「実は好きだったんだ」と言われ、キスをされた。
驚いて泣き出してしまった。過呼吸になり長椅子に横にされた。落ち着いたら、抱き締められた。「頭が空っぽになり、ブレーカーが落ちたような感覚」に襲われたという。
この美術館に誘われたことが発端だった(撮影:高木哲哉)
高校に入ってからも教諭の求めに応じて会った。教諭の部屋や車の中でキスをされ、上半身を脱がされ、体を触られるようになった。高1の秋から冬以降、教諭はエスカレートし、自宅や野外で性的行為をさせられるようになった。
「心地良いと感じたことは一度もありません。でも、好きと言われているし、それを受け入れられない自分に問題があると考えていました」
生徒と教師という力関係の圧倒的な差。
「大人のほうが人生経験は長いのだから、言うことを聞けばいいのだと思うようになりました。いつ何があったかは分かっているけど、何も体感できないという感覚でした」
◆「セックスが合わない」と教諭
石田さんと面談したことがある米田弘枝氏(元・立正大学心理学部教授)によると、性被害を受けていた時、石田さんは「解離状態」だった可能性が考えられるという。
自分で対処できないような苦痛があると、人は身体と感情・感覚知覚を切り離し、自身を守ろうと「解離」する。
「(教諭との関係は)力関係に圧倒的な差があるなかで、生徒にとっては衝撃的な出来事。ノーと言えない状況下での性的行為は暴力。このようなトラウマ記憶が、断片的で思い出さないように回避されると、鮮明なまま、数十年も持続する性質がある」
解離状態になると、苦しいことを苦しいと感じなくなる。半面、楽しいという感情も失ってしまう。生き生きとした感情や感覚が麻痺し、充実感や自己肯定感を得にくくなる。
さらに石田さんは、苦痛を感じないよう勉強に打ち込むという「過剰適応」的な生活を送るようになった。もともと成績は優秀だ。北海道大学に現役合格した。大学入学後も教諭との関係は続いたが、そうした関係は19歳、大学2年の7月に終わる。石田さんが性交に苦痛をあらわすと、教諭は「セックスが合わない」と言い、連絡が来なくなったのだ。
その後、教諭が同僚の教諭と付き合い始めたことを知り、石田さんは混乱した。
大学を休学して京都に行き、ゲストハウスでアルバイトをして過ごした。1年経って帰郷したが、腑に落ちない感情はくすぶり続けた。
加茂登志子医師のカウンセリングを受ける石田さん(撮影:高木哲哉)
◆あれは“犯罪”だったのか
北大を卒業後、石田さんは美大で学び直すことを決意した。
予備校を経て、石川県の金沢美術工芸大学に進学し、北欧に留学もした。そこを卒業すると、石川県内の結婚式場での写真撮影、事務員として働く。35歳で上京。シェアハウスやアパートで暮らしながら、アルバイトやフリーカメラマンの仕事をこなし、細々と暮らしていた。
加茂医師は「放浪のような生活です。職を転々とし、収入も国立大卒には見合わない水準。適応障害の状態でした」と話す。
教諭の行為が性犯罪であると自覚し、PTSDが発症したきっかけは偶然だった。2015年5月、37歳のときである。
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この記事は<「沈黙して生きていくことに耐えられない」教師による性被害を彼女が「実名告発」する理由>の一部です。記事は2020年2月12日、Yahoo!ニュースオリジナル特集で公開されました。取材を担当したのは、フロントラインプレス所属のジャーナリスト・高木哲哉さんです。
記事はこのあと、「教諭と面会、そして…」「教諭側の言い分とは」「顔も名前も隠さず、訴訟と会見に臨む」と続き、最後は石田さんの「実名で出る人がなくなればいい」という言葉で締めくくられます。このページトップの写真はフラワーデモの時の一枚。石田さんの周囲や後ろには、大勢の人がいます。
記事の全文はYahoo!ニュースオリジナル特集のサイトで公開されています。下のURLをクリックしてアクセスしてください。Yahoo!へのログインが必要なこともあります。また、写真は一部配置が異なっています。
「沈黙して生きていくことに耐えられない」教師による性被害を彼女が「実名告発」する理由
■石田さんは2019年2月、この教師と札幌市教育委員会を相手取って、約3000万円の損害賠償を求めて、東京地裁に提訴した。同年9月、東京地裁は訴えを起こす期限を過ぎているという「除斥期間」のみの判断で訴えを棄却した。この記事が出たあとの2020年12月、二審・東京高裁も請求を棄却したが、石田さんの被害事実を認定した。また、札幌市教委は2021年1月、56歳になっていたこの教師を懲戒免職処分にし、石田さんにも直接謝罪した。