沈没―寿和丸はなぜ沈んだか

  1. オリジナル記事

◆直感的に沈没すると感じた

 第58寿和丸は、福島県いわき市に本社を置く「酢屋商店」の漁船である。

 同じいわき市の小名浜港を出た後、宮城県の塩釜港に入って燃料などを補給し、6月4日に出港。八丈島付近を目指した。例年通り、八丈島近海からカツオとマグロの魚群を追い、北海道東部の沖合に向かって北上する予定だった。

 巻き網漁船は、異なる役割を持った数隻の船が船団を組む。この出漁では、2船団8隻。第58寿和丸の船団では、同船が魚を獲る「網船」だった。魚群を探し、巻き網に囲い込む探索船は「第6寿和丸」。獲れた魚を港に運ぶ運搬船は「第33寿和丸」と「第82寿和丸」。運搬船はこの日、水揚げのため2隻とも漁場を離れていた。

 僚船の航行日誌を元に酢屋商店が作成した書類によれば、6月23日正午ごろの天候は雨。視界は3~4マイル、キロ換算では5〜6キロである。南の風、10~11メートル。波3メートル。第58号寿和丸の乗組員たちは、パラ・アンカーを下したときより、波も風も落ち着いてきたと感じていた。

 やや気が緩んだような時間帯。「ホヤ買ってきて」という休息中の何気ないやりとりから、およそ10分後、午後1時10分ごろのことだ。第58寿和丸は突然、右舷前方から衝撃を受けた。船体が右に傾く。

 自室で寝つけずにいた豊田は「波が甲板に載ったな。そのうち抜けるだろう」と考えた。すると、船体の復元を待たずに、2度目の強い衝撃。「ドスッ」と「バキッ」という音が重なって聞こえたと豊田は記憶している。傾斜がさらに増した。静かに、ゆっくりと右に傾き続けていく。

 「これはやばいな」

 ベテランの豊田は直感的に沈没すると感じ、Tシャツにパンツ姿のまま、後部船室から中央通路に飛び出した。食堂を抜け、左舷側扉から船橋甲板に脱出。この時、操舵室から出てきた甲板長の伊藤義彦が指示を飛ばしている声が聞こえてきた。相手は機関長の杉山洋一だ。

 「エンジンかけて、メイン油圧をいれて、ユニックをがっちりこっちに振ってくれ」

 甲板長・伊藤の声に緊迫した様子はない。指示は、傾いた船体のバランスを保とうという内容だ。それを聞いた機関長の杉山は食堂を通り抜けエンジンルームへ向かった。この時点ではおそらく、さほどの困難もなく、船体の傾きは復元できると考えていただろう。

 衝撃の直後、別室にいた大道も異変を感じた。「ただごとではない。ひっくり返る」と。大道は日本海の荒波も十分に経験している。怖い思いをしたこともある。しかし波をかぶっても漁船は復元する。かぶった波は放水口から出ていく。「ひっくり返る」と思ったのはこの時が初めてだったという。

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 この記事は「沈没 寿和丸はなぜ沈んだか」第1回の冒頭部分です。記事は2021年2月24日から4月にかけ、8回連載の記事としてサブスクの「スローニュース」で公開されました。記事の全文は以下で読むことができます(会員登録が必要)。
https://slownews.com/stories/PPy5bgvqTLI

 この転覆・沈没事故で第58寿和丸の乗組員は17 人が犠牲になりました。助かったのは3人しかいません。

 この事故はその後、生存者や船主、遺族、関係者らを長く苦しめることになります。事故調査を担当した国の運輸安全委員会(国土交通省所管)は「波によって転覆、沈没した」と結論付けたのですが、生存者の証言や油の大量に流出した海面の状況などは、その結論と大きく食い違っていたからです。多少しけていたとはいえ、135トン、全長40メートルもある大型漁船が転覆するような海況ではありませんでした。

 では、第58寿和丸はなぜ沈んだのか。

 船主は、運輸安全委員会とは別に、事故の状況を独自に調査し、遭難の再現実験も実施しました。多くの研究者や専門家も協力。その結果、第58寿和丸の転覆・沈没は、波ではなく、船底に損傷が生じたためではないかと強く推認されるに至ったのです。船底損傷が生じた理由については、一部専門家が「潜水艦と衝突したのではないか」と疑っています。実は、国の事故調査も当初は船底損傷を疑い(潜水艦衝突の可能性も視野に入れ)、潜水調査を検討していました。事故のあった2008年6月は、北太平洋で環太平洋合同軍事演習(リムパック)が始まろうとしていた時期でもあり、米国、日本、韓国、豪州など各国の艦船が拠点のハワイに大集結を始めていました。

 本当に潜水艦だったのか。取材を担当したフロントラインプレスの伊澤理江さんは粘り強く取材を続け、驚くべき事柄に次々と遭遇します。この取材は現在も継続中です。また、一連の取材に関しては、情報公開に関する国の対応に大きな問題がありました。そのため、フロントラインプレス合同会社は国(運輸安全委員会)を相手取り、情報開示をきちんと行う求める訴訟を起こしています。提訴の事情については、以下で説明しています。リンクをクリックし、アクセスしてください。

https://slownews.com/stories/PPy5bgvqTLI/episodes/coR6fgw67NM#8eee5f0
https://note.com/slownewsjp/n/n16d3c56975af

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伊澤理江
 

ジャーナリスト。

英国ウェストミンスター大学大学院ジャーナリズム学科修士課程修了。 新聞社・外資系PR会社などを経て、現在はネットメディア、新聞、ラジオ等で取材・執筆活動を行っている。フロントラインプレスが制作協力したTokyo FMの「TOKYO SLOW NEWS」の...

 
 
   
 

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