「ボクのうちにお金あらへん」子どもの投書に突き動かされた「警官汚職」報道と「賭博ゲーム機追放」キャンペーン

  1. 調査報道アーカイブズ

◆警察関係者や読者から続々と“内部情報”

 読売新聞の大阪社会部には、賭博ゲーム機追放のキャンペーンを始めた当初から電話や郵便で大量の情報が寄せられたという。「警官汚職」にはその一部が記されている。改めて目を通すと、業者と警察のただならぬ関係はまるで映画のようだ。

 「大阪府警を堕落させたのは防犯部のOB警官たちだ。幹部だったOBを通じて業者から現金が現職警官の多くに渡っている」

 「汚職事件の奥は深い。現場の警官ばかりでなく、大物の警官を捕まえないと府警の大掃除はできない」

 「賭博ゲーム業者が加盟している協会組織の顧問に政治家が座っていて、ゲーム業界には警察OBが数多く天下っている。トカゲの尻尾切りで終わらせてはだめだ」

 「前本部長とも親しかったある国会議員はスロットマシンを認可させる見返りに業者から2億円受け取った」

 こうした情報を手がかりに、記者たちは丹念な取材を続けた。大阪府警による捜査は、身内に対するもの。その限界が見える中、事件の全貌に迫ろうと、内部告発された情報の一つ一つをつぶしていく。警察発の情報には頼らない、調査報道取材の真骨頂だった。

 点は点として成立するものの、点はなかなか線にならない。2千万円に及ぶ業者のカネを政治家に運んだという女性に関する情報もあった。その住所を突き止め、何度も足を運ぶ。結局は「あのころのことは忘れてしまったんです。ほとんど覚えていないんです。許してください」という答えしか返ってこない。記事にならない、そんな情報はいくらでもあった。しかも他の新聞・テレビはほとんど追いかけてこない。

 それでも大阪社会部は、何本か重要なスクープを放った。

 「汚染ゲーム機加入の協会 秦野法相、顧問だった」「大臣就任の直前に辞任」(1982年12月9日朝刊)

 さらに、パチスロメーカーがつくる協同組合の役員に警察庁OBがずらりと顔を並べ、当時の後藤田正治官房長官が過去に顧問を務めていたことなども報じた。

 

◆「そんなに簡単に社会悪に勝てるかい。それでもやらないかんのだよ」

 賭博機追放キャンペーンから5カ月ほどが過ぎた1983年1月21日朝刊に、大阪社会部の黒川満夫記者は「信頼回復の出発点に」と題する大型の解説記事を書いている。当時としては日本警察史上最大の処分者を出したことを踏まえてのものだ。

 「……結局、現職の逮捕は三人だけ、階級では一番上が警部補であり、業者の車を乗り回していた警視は免職になったものの書類送検だけでとどまった。」「退職後そのまま取締対象であった業者に“天下り”していたOB警官の腐敗は目に余るものがあったが、これも逮捕は巡査部長と巡査長の二人だけ…」

 

一連の報道に一区切りつける大型の解説記事など。

 

 ゲーム業者と国会議員の金銭をめぐる取材に自ら終止符を打った記者の1人は、警官汚職やパチスロ問題に関する衆院予算委員会の質疑をテレビで見ながら、大きな岩のような警察という組織の厚い壁を感じていた。新聞記者がかけずりまわり、野党議員が追及を続けても、その岩はびくともしない。組織の末端のほんの少しが削り取られただけで、壁はますます厚くなるようだ、と。

 その思いを社会部長の黒田氏にぶつけると、こんな言葉が返ってきたという。

 「なにを沈んでいるんや。みんなよくやったやないか。そんなに簡単に社会悪に勝てるかい。それでもやらないかんのだよ」

■参考URL

単行本「警官汚職」(読売新聞大阪社会部)

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本間誠也
 

ジャーナリスト、フリー記者。

新潟県生まれ。北海道新聞記者を経て、フリー記者に。

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