一個人が在日米軍の実相に迫る 米国の情報公開法を駆使した執念の4年間

  1. 調査報道アーカイブズ

梅林宏道氏(1992年)

[ 調査報道アーカイブス No.80 ]

◆日本の検疫に“大穴” 国内法の上に立つ在日米軍

 米軍の兵士や軍属、その関係者は、日本の検疫を受けることなく日本に出入りすることができる。新型コロナウイルスの感染拡大に伴い、この“検疫体制の大きな抜け穴”が浮き彫りになった。とりわけ2021年暮れから、日本でも感染が確認されたオミクロン株に関しては、沖縄県の各米軍基地を筆頭に岩国基地(山口県)や横須賀基地(神奈川県)でも感染拡大が相次いだ。米兵らは基地の外に出ることができるため、これでは成田・羽田などでいくら水際対策を整えても無駄ではないかと思えてくる。

 日本に置かれた米軍基地とは、どういう存在なのか。日米安保条約や日米地位協定によって、基地は「治外法権」となり、米軍側には日本法を優越する地位が与えられている。しかも、米軍は日本にどんな部隊をどう配置しているのか、日本を拠点にどんな活動をしているのかといった「そもそも」はほとんど明らかにされていない。

 こうした実態に一個人が真っ向から斬り込んだのが梅林宏道氏であり、その著書『情報公開法でとらえた在日米軍』(1992年)である。武器はたった一つ。米国の情報公開法(FOIA,Freedom of Information Act)だ。梅林氏はこの法律を使って、米国防総省や各部隊司令部などにひたすら情報公開請求を繰り返し、在日米軍の姿と活動内容を赤裸々に示すことに成功した。例えばー。

米情報公開法のHP

◆湾岸戦争 巡航ミサイルを撃ち込んだ米艦船は横須賀から

 1990年8月、イラク軍が突然クウェートに侵攻し、湾岸危機が発生した。イラクは国際社会の撤兵要請に耳を貸さなかったため、1991年1月、米国を中心とする多国籍軍は対イラクの軍事行動に出る。これが湾岸戦争だ。戦闘の火ぶたは、中東の海域に展開された米艦隊からイラクに向けて発射された巡航ミサイル「トマホーク」だった。

 では、トマホークを搭載した米艦隊はどこから中東に派遣されたのか。梅林氏は、FOIAで得た資料や米側の公式記録などを駆使しながら実態に迫る。

 「湾岸戦争で発射された米軍のトマホークは計288発であり、その中で最も多くを発射したのは、横須賀基地を母港とする駆逐艦ファイフの58発だった」ことを把握したのは、その一例に過ぎない。この駆逐艦だけでなく、湾岸戦争に参加した部隊の多くが日本から現地に向かっていた。米軍秋月弾薬庫(広島県呉市など)の弾薬は戦地に一番乗りを果たした。そうした事実を梅林氏は丹念に明らかにしていく。

 湾岸戦争に関わる部隊や兵器、その修繕といった多くの事柄が日本と深く関わっていた。当時、多くの国民は「湾岸戦争には在日米軍も関わっているだろう」と感じていたと思われるが、「だろう」という推測と公文書による事実の解明は、根本的にステージが異なる。

 『情報公開法でとらえた在日米軍』は、1990年6月に千葉県沖で起きた空母ミッドウエーの爆発事故にも迫る。事故調査に関する軍の資料を情報公開請求し、実態を暴いていくのだ。艦内のどこでどんなことが起きたのか。公文書とその詳細な図面を用いて事実を明らかにしていくプロセスは、謎解き小説のような趣もある。

湾岸戦争で米艦から発射される巡航ミサイル「トマホーク」=1991年1月17日(米海軍の公式HPから)

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高田昌幸
 

ジャーナリスト、東京都市大学メディア情報学部教授(調査報道論)。

1960年生まれ。北海道新聞、高知新聞で記者を通算30年。北海道新聞時代の2004年、北海道警察の裏金問題取材で取材班代表として新聞協会賞、菊池寛賞、日本ジャーナリスト会議大賞などを受賞。

 
 
   
 

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