◆静かに語られている“地域崩壊”の兆し
こうした住民の声は「地域」「過疎」には付きものと思われているかもしれない。「付きもの」だからある意味、当たり前のことであり、取り立ててニュースになるようなものではない。しかし、声を拾い、つなぎ合わせ、重ね合わせていくと、地域に襲いかかっている途方もない“崩壊の兆し”が浮き彫りになってくる。
山本記者はこの間、着替えや寝袋、パソコンなどをぱんぱんに詰め込んだバックパックを担ぎ、県内を歩き回った。締めくくりとなる2012年1月1日の「取材後記」には、こんな文を綴っている。
振り返れば、いろいろあった。「本当に新聞記者?」。独り暮らしの高齢女性に不審の目で見られ、慌てて名刺を差し出した。「君、どこへ行くの」―さりげなく職務質問する警察官。炎天下に山道をさまよい、何リットルもの飲料水が汗で流れ出た。閉め切ったテントの中で半裸になり、火照った太ももにスプレー式鎮痛消炎剤を噴射すると、霧状の薬剤が目と呼吸器に染み、独りもん絶した。
過疎地の集落で、ただ一軒の食料品店が廃業しており、腹をすかせて途方に暮れた冬の日。誰もいない山中で野犬の群れに遭遇した時には、息を殺して忍び足で逃げた。牙をむいて威嚇する野生のニホンザルやマムシにも肝を冷やした。
生活バス路線廃止の影響、市町村合併後の周縁部の今―毎回テーマを決めて現地に赴くのだが、そもそも右も左も分からず、知り合いもいない土地。片っ端から住民をつかまえ、話を聞いては次、という行き当たりばったりの作業を繰り返した。
◆労せず取材できる「記者クラブ」に慣れきっていた
山本記者はこの取材に出るまでの7年間、愛媛県庁の記者クラブに所属し、主に県政絡みの話題を取材してきた。その反省も踏まえつつ、こうも書いている。こちらは、連載スタート時の紙面だ。
そこ(記者クラブ)には報道資料や記者発表という形で、整理された情報が次々舞い込んでくる。13年間の記者生活を振り返れば、ずっと県庁所在地の記者クラブ詰め。いつしか、労せず効率的に情報を入手できる環境に慣れきっていた。
取材相手の県庁職員や政治家から聞く地域の話も、基本的には間接情報。「住民の生の声」に接する機会は、必ずしも多くなかった。ニュースを「処理」する忙しさにかまけ、地域の実情を自ら深く掘り下げないまま、分かったような顔をして、表層的な記事を大量に書いてきた。そんな反省もあり、歩いてみることにした。
「車で行けばいいのに」。同僚があきれた声を上げた。1時間歩いても移動できる距離は4キロほど。確かに非効率な取材手法かもしれないが、車だと見過ごしてしまうようなささいな出来事でも、時速4キロなら目にとまることがあるだろう。
比喩的な意味ではなく、文字通りの意味で「歩く」。それを貫き通した結果は、平成の大合併で押し潰されそうになった人々の声であふれている。自治体合併に限らず、永田町・霞が関で決められた政策の結果は、こうした周縁部でこそよく見える。「牙をむいて威嚇する野生のニホンザルやマムシにも肝を冷やした」と取材後記に書いた山本記者は、東京で政治や中央省庁を担当している記者たちに、「あなたちも歩きませんか?」と呼び掛けているのかもしれない。
■参考URL
単行本『地方紙で読む 日本の現場 2012』(花田達朗・高田昌幸・清水真編著)
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