「神風タクシー」 ノルマと低賃金の末に事故多発 高度経済成長の入り口での調査報道

  1. 調査報道アーカイブズ

◆厳しいノルマ、低賃金 運転手の苦境にも耳を傾けて

 タクシー運転手の日常は、今と変わらず、当時も厳しかったようだ。夜中の2時、3時。乗務を終えた運転手をつかまえ、取材する。彼らのたまり場になっていた深夜営業の喫茶店に行き、話を聞く。疲れ切った運転手たちが明かすのは、劣悪な労働環境だった。ひたすら走行しなければ、乗務後のメーターチェックで厳しく理由を問われる。売り上げが少ないと、会社の係員がそれを受け取らない。かと言って持ち帰ると、横領で告発される。

 2月から始まった5回連載の初回は「ひかれ損」だった。きちんと保険に入ってないタクシー会社もあった。2回目は「怖いノルマ」。以後、「暴走を生むもの」「たよりない官庁」「事故を防ぐには」と続いた。連載でこの問題が可視化されると、国会でも議論が始まった。その焦点は、運転手の固定給が低すぎることと、走行距離のノルマがきつすぎることだった。1日500キロの走行を課せられたケースも珍しくなく、国会では320キロに制限すべきだと指摘されている。そして関係閣僚はそれぞれに対策を約束し、業界団体も是正へ動いた。

◆国会や関係省庁が動き、報道で社会は変わった しかし…

 4月になると、朝日新聞は「神風タクシー その後」と題する連載を掲載した。「保険金が安すぎる」「外国ではどうか」といった内容である。前掲の『新聞研究』に掲載された一文によると、このキャンペーン報道には目に見える成果があった。走行キロの制限や休養施設の拡充などが義務付けられ、その年の4〜6月のタクシー事故はそれまでの3カ月に比べて50%も減ったのだという。

朝日新聞の連載「神風タクシー」=1958年2月

 

 調査報道は、ときに社会を動かす。報道で社会は変わる。「神風タクシー」追放キャンペーンは、日本におけるその先駆的な一例かもしれない。『新聞研究』への寄稿で小林幸雄氏はこう書いている。

 しかし、残念なことにはこの成功も、また“一応”にすぎない。またぞろネジの元がゆるみはじめたのではないかと言われ出した。私たちは前後2回の“神風タクシー”で終わらせてはいけないと思っている。足元のことは、つねに見つめることを忘れてはいけないのだから。

 足元のことはつねに見続けていないといけない、それが記者の役割なのだー。そう記されてから、半世紀以上になる。死亡交通事故は1970年ごろに年間1万6000人前後という最悪の状態となった後、上下を繰り返しながら減少。2020年は2839人にまで減った。だからと言って、課題が解決したわけではない。社会の様相が変わると共に新たな問題も生まれた。いま、高齢者や認知症のドライバーによる悲劇的な事故が、列島各地で繰り返されている。「足元のことを見続けよ」という命題は、現代においてもしっかり生きているはずだ。

1

2

高田昌幸
 

ジャーナリスト、東京都市大学メディア情報学部教授(調査報道論)。

1960年生まれ。北海道新聞、高知新聞で記者を通算30年。北海道新聞時代の2004年、北海道警察の裏金問題取材で取材班代表として新聞協会賞、菊池寛賞、日本ジャーナリスト会議大賞などを受賞。

 
 
   
 

関連記事