「これは薬害だ!」 視聴者とのネットワークが結実した「検証・C型肝炎」報道

  1. 調査報道アーカイブズ

フジテレビ(2001年〜)

[ 調査報道アーカイブス No.51 ]

◆放送局単独で日本初の「ピーボディ賞」

 米国のピーボディ賞は、放送界のピュリッツァー賞と呼ばれるほどの権威がある。フジテレビのニュースJAPANが放送した「シリーズ検証・C型肝炎」は、日本のテレビ局としては初めてこの賞を単独で授賞した。2002年のことである。

 C型肝炎ウィルスに汚染された血液製剤「フィブリノゲン」の存在を、国がもみ消していたという事案。この驚くべき事実を丹念な調査報道取材で明るみに出したほか、遺伝子検査によってC型肝炎ウィルスが「フィブリノゲン」に混入していたことを世界で初めて立証した。C型肝炎の患者らが国や製薬メーカーを相手取って集団訴訟を起こしたのは、まさにこの報道がきっかけだったと言ってよい。

ピーボディ賞の授賞式(在ニューヨーク日本國総領事館のHPから)

 

 現在、このシリーズ番組を視聴することはできないが、報道の内容や取材のプロセスは『ドキュメント 検証C型肝炎―薬害を放置した国の大罪』(フジテレビC型肝炎取材班著)、『ジャーナリズムの方法』(早稲田大学出版部刊)に収録されたニュースJAPAN編集長・熱田充克氏の講義録などで追うことができる。

◆C型肝炎被害の本を読み、「これはいける」

 2001年春の番組改編期に向けて新たなネタを探していたとき、取材班は『沈黙の殺人者(サイレント・キラー)・C型肝炎―250万人の日本人に巣喰う「発がんウイルス」の恐怖』という書籍に出合う。 C型肝炎の蔓延に警鐘を鳴らす内容だった。これを読み通した後、「これは新企画としていけるかな」と思ったのだという。つまり、内部告発などが端緒になったのではなく、最初からテーマを定め、取材に突き進んだのである。

 放送はまず、その年の4月初旬、月曜から金曜まで5回のシリーズだった。初回は「眠りから覚めた殺人ウイルス」と題してC型肝炎ウイルスと発症のメカニズムを紹介。2回目は「予防接種の功罪」と題し、学校などの集団予防接種における注射器の使わい回しがC型肝炎ウイルスの拡大につながったのではないかと問題を提起した。

 3回目は「輸血」である。輸血による感染者が4割に上る事実を伝えたうえで、水爆実験で乗組員が被曝した「第5福竜丸」事件を取り上げた。その後に他界した乗組員は放射線が原因だったと思われているが、実は輸血によるC型肝炎が原因だった人がかなり多いという実態をリポートした。5回目は治療薬としてのインターフェロンを取り上げていく。

◆「パンドラの箱」を開けた!

 番組は当初、この1シリーズで終える予定だった。ところが、そうはいかなかった。『ジャーナリズムの方法』から引用しよう。その箇所には「パンドラの箱を開ける」という小見出しが付いている。

 「ところが、ものすごい反応があったのです。視聴者からの電話はひっきりなしにかかって来る。ものすごい数のファクスが来る。もちろん番組宛てにメールもすごく来て、その内容というのがほとんど「よく取り上げてくれた」というものでした。
 他にも、例えば、「私のお父さんのC型肝炎だ」とか、もう亡くなった方のご家族から「なぜ感染したのか分からない。未だに納得できない。調べて欲しい」とか。「今、C型肝炎にかかっていることがわかったのだけれど、どうしたらいいだろう」とか、「夫が妻がC型肝炎にかかった。どうしたら」……。
 そういう悲痛な叫びと、やり場のない怒り。そういうお便りが500通くらい来ました。
 通常、1回の放送ではだいたいファクスが来てもせいぜい、5、6通。(略)いきなり2台のファクスがパンクして、翌日も代表電話の交換手から「もうパンクするからどうにかしてください」という電話がかかってくる」

血液製剤フィブリノゲン(フジテレビのHPから)

 

 スタッフは「パンドラの箱を開けてしまったな」と感じたという。どの放送局も取り上げなかったC型肝炎。それをキー局がメーンのニュース番組で取り上げ、すさまじい反応を呼び起こしたのだ。もう後には引けなかった。

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高田昌幸
 

ジャーナリスト、東京都市大学メディア情報学部教授(調査報道論)。

1960年生まれ。北海道新聞、高知新聞で記者を通算30年。北海道新聞時代の2004年、北海道警察の裏金問題取材で取材班代表として新聞協会賞、菊池寛賞、日本ジャーナリスト会議大賞などを受賞。

 
 
   
 

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