2010年のウイルスとの戦い 29万頭殺処分/「口蹄疫」の足元を報じ続けた宮崎日日新聞

  1. 調査報道アーカイブズ

◆「殺処分された牛や豚の数だけ涙の別れがあった」

 それから2カ月後、宮崎県内の口蹄疫はほぼ終息に向かい始めていた。新聞社に速達を出した女性養豚業者の周囲でも、家畜はゼロになった。そして再び、女性は新聞社に手紙を託し、すべての読者に読んでもらいたいと願った。

 思えば(口蹄疫で殺処分された)約28万8300頭の牛、豚の数だけ悲痛な涙の別れがありました。これからは県も同じ痛みを分かち合い、スタートの先頭に立って欲しいと思います。
 そんなことを呟きながら私達夫婦は豚舎周囲の雑草をきれいに刈り取りました。ただでさえ異様に映る空っぽの畜舎です。管理もされず放置された空舎は廃墟化して不気味になります。私達には再開か、廃業かの目途も立っておりませんが、豚たちの温もりや息遣いが残っている間は手入れをしていこうと話しています。もし、廃業する時は、建物全部を取り壊して、糞尿で汚染した跡地に木や花を植えてきれいな土地に戻そう、そうしたら孫やよその子供たちが自転車を乗り回して遊ぶかも知れん。そしたら子供が喜ぶ果実も植えんといかん。等と想像が膨らみます。
 いずれにせよ、全農家が再開か廃業かを決める日が来ます。どの家のお墓もすぐに雑草に覆われて周囲の景色に溶け込んでしまうでしょう。でも廃墟化した畜舎はボロボロになって朽ち果てるまで何十年もかかります。
 どうか自然豊かな美しいわが里に不気味な廃墟が残らぬよう、廃業する農家にも後片付けが出来るだけの十分な支援をお願いしたいと思います。

殺処分した家畜を運び出す(宮崎県のHPから)

◆ウイルスは“見えていた” 事態を招いた行政の不作為

 ウイルスは目に見えない。だが、宮崎県の畜産業者らにはウイルスがはっきり見えていたに違いない。何しろ、眼の前でバタバタと家畜が倒れ、あっという間に畜舎全体に広がっていくのである。しかも、口蹄疫の感染拡大には、宮崎県当局や農林水産省の不作為も大きかった。後に農水省の検証委員会がまとめた報告書は「10年前の口蹄疫の発生を踏まえて作られた防疫体制が十分に機能しなかった」「国と宮崎県・市町村などとの役割分担が明確でなく、連携も不足していた」などと指摘。ワクチン接種の遅れも含めて、行政の責任が極めて大きかったと総括したのである。

 宮崎日日新聞はこの年、通常のニュース記事だけでなく、連載・特集、深堀りルポなども交えながら長く関連報道を続けた。「東京目線」「中央目線」が幅を利かせる日本のメディア界では大きな注目を集めなかったが、地域の実情を伝え続け、日本農政の欠落した部分までも視野に入れた報道はもっと記憶されていい。

口蹄疫で殺処分された家畜の埋却地(宮崎県のHPから)

 

 一連の取材を担っていた奈須貴芳記者は報道が一段落した後の2012年、『日本の現場 地方紙で読む 2012』の中で口蹄疫に関する記憶の風化が早くも進んでいると警告した。そのうえで「防疫の中心を担うのはもちろん農家や行政だが、口蹄疫との戦いには県民全体の協力が不可欠なことは論をまたない」と記した。直接の当事者だけでは、広範な事態に対応できないという指摘だ。今まさに、われわれが新型コロナウイルスとの戦いで日々実感させられていることと、まるで同じではないろうか。

■参考URL
単行本『ドキュメント口蹄疫―感染爆発・全頭殺処分から復興・新生へ』(宮崎日日新聞社著)

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高田昌幸
 

ジャーナリスト、東京都市大学メディア情報学部教授(調査報道論)。

1960年生まれ。北海道新聞、高知新聞で記者を通算30年。北海道新聞時代の2004年、北海道警察の裏金問題取材で取材班代表として新聞協会賞、菊池寛賞、日本ジャーナリスト会議大賞などを受賞。

 
 
   
 

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