「徳島・自衛官変死事件」取材 一個人が迫る真実

  1. 調査報道アーカイブス

「徳島・自衛官変死事件」三笠貞子さん 1999年

[調査報道アーカイブス No.4 ]

 「お兄ちゃんは自殺じゃない」(新潮社)という本がある。たった一人の兄をなくした妹の三笠貴子さんが、「死亡原因は自殺」と決めつけた警察捜査に異を唱え、兄は事件の被害者だったことを証明しようしていく。その独自調査の経緯が詳細に記されている。怠慢ともいえる捜査、誤りを認めない警察組織。それと対峙した2年余りの日々を、同書を要約する形で紹介したい。被害者遺族の手記ではあるが、一個人ながらも真実に迫っていく道程は、権力の不正・不作為に迫る調査報道取材のプロセスと何ら変わることがない。

 広島の海上自衛隊に勤務していた男性(当時33歳)が1999年12月27日未明、徳島県阿南市内で遺体となって発見された。場所は橋の下。水深10センチの川の中だった。橋の欄干近くには左側のバンパーとライトを破損した男性の車が止めてあり、左前輪のタイヤはパンクしていた。その場所から8.2キロ手前のガードレールには接触の痕跡が残されていた。

 徳島県内の実家に帰省していた男性は2日前の12月25日午後7時半ごろ、見合い相手と神戸市などで2回目のデートをして徳島県内で別れた後、行方が分からなくなっていた。遺体と車が発見された場所は、どういうわけか、実家の方向とは正反対の、実家から60キロ以上離れた阿南市内の山道だった。

 遺体は司法解剖されたが、不可解なことに徳島県警阿南署は解剖結果が出る前の午前9時頃には早々と「自殺」と判断し、男性の勤務先や見合い相手にそれを伝えていた。葬儀が終了し、男性の遺族が同署に捜査状況を聞きに行くと、返ってきた言葉は「ガードレールに接触した後、自暴自棄になって車を放置して橋の上から(約16メートル下の川に向かって)後ろ向きに飛び降りた」という内容だった。「遺体は仰向きに寝てましたね」とも。男性に自殺する理由はなく、疑問ばかりが膨む説明だった。

 翌2000年1月、もう一度説明してもらうため遺族が同署を訪れると、遺体発見後の現場鑑識の段階ですでに事件性なしと判断し、車内の指紋検出や現場付近の足跡捜査などを行っていないことが分かる。警察側は「本人が運転していたことが分かればいいんですよ。事件性があれば調べましたけど、事件性ないもんね」「司法解剖した結果、転落の時に死因であるけがをしたことが分かりました」と説明したが、遺体発見時に現場まで足を運んでいた遺族が「ガードレールに接触した場所近くにバイクのタイヤ痕があった」と指摘すると、捜査員は「フンッ」と鼻をならしたという。

 「阿南に暴走族はいないんですか」と質問すると、「いません」と答えたかと思えば、すぐに前言を翻し、「暴走族は全県下にいます。でも、ずっと追跡されたり、取り囲まれていたのなら、対向車から通報が入ってくるはず」。不機嫌な口調に加え、時に遺族を威圧するような態度で、「事件性なし」「自殺」の一辺倒だった。

 ところが、遺族が司法解剖した徳島大学医学部の医師に話を聞くと、警察の説明はでたらめだったことが明らかになる。「司法解剖の説明は本来できないのですが…」と言いながら、医師が話してくれた内容は驚きだった。

 まず、死因は転落時のけがが原因ではなく、肋骨と胸骨が陥没骨折を起こしてその下の大動脈が裂けたことによる出血性ショックだという。「(体の)前から何かが当たっているとしか考えられない」「地面に落ちた時ではなく、胸自体に何かが当たったということ」と医師。ハンドルが胸部に当たったとは考えにくく、「前からのほぼピンポイントの直接的な外力によって損傷を負ったとしか考えられない」と話した。

 胸部の傷が致命傷となったと考えられる理由として、医師は「尻や腰の損傷が橋から落ちた時に発生したと仮定すれば、出血が少なすぎる。骨盤骨折は致命傷になるような大量出血を伴うのにほとんど出血がない。このことから胸部大動脈の損傷の方が時間的に先に発生していることが分かります」と説明した。

 警察を頼ることなく、独自に調査し、兄の死に至るまでを調べよう――。三笠貴子さんが決意したのは、この時だった。

 事件と向き合うため、目を通した書籍は約100冊に上るという。警察の犯罪捜査に関するものをはじめ、医学、力学、自動車工学、法学……。本で学んだことと、阿南署の捜査を比べていく。すると、事故現場の確認を怠っていたことや、着衣などの遺留品を鑑定することなく遺族に返却していたことなど、捜査のずさんさがいくつも分かった。着衣には、司法解剖の医師が指摘した「前からのピンポイントの外力」の痕跡がくっきりと付いていたにもかかわらず、である。また、兄の車はガードレール接触に伴う左側の破損だけでなく、運転席側の上部にも複数箇所たたかれた跡があったのに、全く関心は払われていなかった。

 見合い相手と別れた後の兄の足取りについても調べた様子はない。遺族がこの後、阿南署や徳島県警にいくら頼んでもNシステムを使った捜査はしてくれなかった。

 解剖医が直接の死因とした大動脈損傷について、遺族は法医学者や外科医らに遺体と着衣の状況を説明したうえで見解を問う。すると、「胸に損傷を与えた凶器として考えられるのはゴルフクラブのドライバーやハンマー、安全靴のような重くて固い靴の踵など」と指摘された。

 さらに遺族は、司法機関からの依頼で多くの交通事故工学鑑定を手掛ける人物に鑑定を依頼した。要請により、追加で資料も集めた。自作の事故現場の図表、現場写真、道路測量地図、死体検案書、解剖医の説明テープ、阿南署の説明テープ、事故車の破損状況の写真、修理見積書、車検証、砂袋による橋からの落下実験結果、修理担当者からの報告書、本人の着衣……。資料は多岐にわたった。約1カ月後に届いた鑑定結果は次のような内容だった。

① ガードレールの接触はその角度から急ハンドルを切った形跡はない
② ガードレール接触時の時速は50キロ前後であり、破壊行動を伴う速度とは思えない
③ 接触事故現場でエアバックが開いたとは思えず、開いたとしてもその衝撃で運転者が致命的な損傷を負ったとは考えにくい
④ 放物線の法則から、遺体があった位置まで人が飛ぶには、自転車を立ちこぎした状態の助走が必要だが現場では助走がつけられず、自力での落下(自殺)とは思えない
⑤ 阿南署の説明のように、後ろ向きで飛び降り、仰向きで横たわるという方法は物理的、人間工学的に不可能

 そうした結果に基づき、鑑定人は仮説として以下の内容を導きだした。

 「男性は何者かに胸部を強打され、胸部大動脈の切断により殺害された。犯人は男性が交通事故で死亡したと偽装工作をするため、故意にガードレールに衝突させた。その後、死体を乗せたまま左タイヤがパンク状態で走行し橋付近で停車。欄干を超えて死体を放り投げた」「死体の位置から犯人は複数。偽装工作の幼稚さ、行動の一貫性のなさ、思い付きの積み重ねからみて、犯人像は軽薄な人間の小集団。事故車の移動経路から土地の地理に詳しい人物がいる」

 鑑定結果などを携えて、遺族は弁護士にも依頼し、2000年8月、県警に再捜査を申し入れた。再捜査はスタートしたものの、捜査員らは「こんなことしてたら娘さんの縁談にも影響する」「早く忘れて供養してあげるのが一番なんちゃう」などと遺族にささやき続けた。再捜査とは名ばかりで、「自殺」の線から一歩も踏み出そうとはしない。申し入れから半年後、県警は再捜査を打ち切った。致命傷となったのは転落時のけがではなく、胸部大動脈損傷。その部分だけは認めたものの、それ以外は何も認めず、警察は事件から手を引いた。

 この事件はその後、テレビ朝日の報道番組「スクープ21」で2001年3月に取り上げられた。番組は、スタントマンを使って橋からの落下実験なども行い、警察捜査の矛盾点を突いていく。また、徳島県議会でも捜査への疑問が議論になった。その際も、県警は「捜査は適正。第三者の関与はない」を繰り返しただけだ。

 遺族はまた、被疑者不詳で徳島地検に告訴するも、「第三者の介在があるというのは難しい」と結論付けられた。検事からその報告を受けた際、三笠貴子さんはこう言ったという。

 「私たちは『(兄を)助けてください。探してください』と訴えていたんです。『女とホテルにしけこんどんやろ。親が知らん女もおるやろ』と警察から言われて、ラブホテルまで聞き込みに行きました。その気持ちが分かりますか。助けてくれるはずの警察が動かないことが、一般市民にとってどれだけ苦しいものなのか。分かってくれますか」

 

■参考URL
単行本「お兄ちゃんは自殺じゃない」
2003年11号 メディア批評

本間誠也
 

ジャーナリスト、フリー記者。

新潟県生まれ。北海道新聞記者を経て、フリー記者に。

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