朝日新聞(2001年)
[ 調査報道アーカイブス No.86 ]
◆4000万円の会員権を最初から無償で
水産高校の生徒を乗せた漁業実習船「えひめ丸」は2001年2月10日、ハワイ沖で急浮上してきた米海軍の原子力潜水艦に衝突され、沈没した。教員5人と生徒4人が死亡する大事故だった。このとき、事故の第一報を受けた当時の森喜朗首相はゴルフ場にいたが、官邸に戻ることなくプレーを続行したことで大きな批判を浴びた。えひめ丸事故と森首相の危機対応については、多くの人が記憶しているのではないかと思われる。しかし、もう一つの事実は、多くの人が忘れているかもしれない。そのゴルフ場の会員権は森首相にタダで提供されたものだったという事実を、である。
『森首相、無償でゴルフ会員権 原潜事故時にもプレー』。朝日新聞は2001年2月15日、こんな見出しの調査報道記事を朝刊1面に掲載した。えひめ丸事故の4日後である。記事は、こんな文章で始まる。
森喜朗首相が、1985年に知人のメーカー社長が4000万円で買った神奈川県のゴルフクラブ「戸塚カントリー倶楽部」(横浜市旭区)の会員権を入時点で自分名義にし、事実上無償で譲り受けていたことが14日、朝日新聞の調べで明らかになった。愛媛県の漁業実習船えひめ丸と米原潜の事故の一報を受けながらプレーを続けたのも同ゴルフ場だった。森事務所はこれまで、閣僚の資産公開などでこの会員権を報告しておらず、「名義は森だが所有は社長とする文書を交わした上での貸与」とその理由を説明している。しかしこのような名義の書き換えは税法上贈与とみなされ、問題があったとの指摘も出ている。
森首相と知り合いだったこの社長は、会員権を購入した際、最初から名義を森氏にしたのだという。「社長は会員権の名義を期限の定めなく森氏に貸し与える」とする合意書を交わしていたとの事実も記事は伝えている。さらに、この記事では、名義人と所有権の関係、贈与税との関わりについても言及がされている。
「森首相の資産ではない」との解釈から、これまで衆院議員や閣僚の資産公開では会員権所有の記載をしていなかった。一方、国税当局やゴルフ会員権の取引業者らによると、会員権は名義人が「所有者」と認定され、名義人以外を「本当の所有者」とする文書を交わしても何の効力ももたないという。
最初から首相の名義にしたのであれば、取得費用を肩代わりしてもらったとして取得資金の贈与を受けたとみなされ、首相に贈与税の納税義務が生じる。
4000万円の会員権の場合、7割の2800万円が課税対象価格になり、3番目に高い60%の税率が適用される。基礎控除などを考えると、1200万円余りの贈与税が生じたはずという。
◆千葉県のゴルフ会員権もタダで
えひめ丸事故のまずい対応と絡まって、このスクープは大きな影響を与えていく。各紙の社会面などには「会員権くらい自分で買ったらどうか」「せこい」といった市民の声があふれた。与党自民党や閣僚からも批判が属術。“ゴルフ退陣政局”に向かって一気に政界は動き始めた。
そうした中、朝日新聞は2月17日朝刊で、『森首相、千葉にも無償会員権 ゴルフ場法人会員「プレー者」登録』と報じた。千葉県市原市内のゴルフ場でも、別の知人が社長を務める会社の法人会員権の「記名者」(プレーできる人)として登録され、会員としてプレーする権利を譲られていたのである。森首相は、先の戸塚カントリークラブと合わせると、3カ月間で2カ所のゴルフ会員権を無償で得たことになる。
これも朝日新聞の調査報道だった。
◆最高権力者の不正をえぐり出す調査報道、活気を取り戻せるか
首相は一国の最高権力者であり、その言動のチェックは報道機関にすれば最優先事項だろう。ただ、森首相に関するこのスクープといい、かつての『中曽根元首相側近名義で株取引 1億2千万円の差益』という記事といい、最高権力者の不正や疑惑を内部からえぐり出すような調査報道は明らかに激減した。
時代が変化し、旧来型「政官業」の癒着の構造が変容したためかもしれない。(その可能性は極めて少ないが)政治がクリーンになったからかもしれない。しかし、1つ明確なことがある。それは、権力中枢のスキャンダルに強かった新聞社の取材力が、目に見える形で劣化してきたことだ。最高権力者に関する、この種の鮮やかなスクープを新聞で目にする機会は再び訪れるのだろうか。
■参考記事
『中曽根首相側近が株取引で1億2千万円 濡れ手で粟の大儲け 朝日新聞の“ど真ん中”スクープ』(調査報道アーカイブス No.57)
『首相経験者もずらり 国税庁に不当介入した議員の実名/『徴税権力』が示す政治と国税の関係』(調査報道アーカイブス No.73)