知られざる日本の暗部「子の死因検証」が進まぬ訳

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■一定の役割を果たした第三者委員会

それでも第三者委員会は一定の役割を果たした、とえみさんは考えている。委員会は、寛也君を1歳児クラスへ移すなど保育形態が変更されたにもかかわらず、保育士の見守りが不十分な状態だったとして、園側の対応に問題があったと指摘。そのうえで、愛知県と碧南市の検証遅れについて「事態を正確に把握することを困難にする」と批判した。

要は“なぜ調査の着手に尻込みしていたのか、もっと早くに取りかかるべきだった”ということだ。

えみさんがプラスに考えているのは、その先だ。

第三者委員会の報告を受けて、愛知県は重大事故時には第三者委員会を設置することなどを盛り込んだ指針を作成。碧南市は、保育事故に関する検証委員会を常設した。

さらに、えみさんらは、厚生労働省にも出向き、保育施設で起きた事故の調査や報告の義務づけを要望した。そうした訴えが通じ、2014年9月、再発防止策を議論する政府の検討会が設置され、えみさんは委員となって出席。2016年4月からスタートした有識者会議でも委員として加わり、保育事故防止に向けて意見を述べてきた。

栗並えみさん(筆者撮影)

えみさんらの活動もあって、事故に関する保育行政は全国レベルで姿を変えてきた。

2015年6月には保育施設での死亡・大けがなど重大事故の情報を集めたデータベースの公開が始まり、2016年には重大事故の際に自治体や施設がどう対応すべきかをまとめたガイドラインが出された。また、重大事故が起きた場合、施設側に報告書の提出を義務づける仕組みもスタートした。

そうした積み重ねは着実に実を結び、数字となって現れている。

内閣府の調査によると、寛也君が亡くなった2010年に全国で起きた保育施設での死亡事故は13件で、その後も毎年十数件を数えていた。しかし、2013年の19件をピークに減少に転じ、2017年からは1桁が続いている。

「事故に対する社会の見方が変わったと思うんです。今はすぐ報道もされ、事故を葬り去ることができません」とえみさんは言う。

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