知られざる日本の暗部「子の死因検証」が進まぬ訳

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■子どもの事故に関する情報が一元化されていない現状

寛也君が他界した際には、事故直後の調査がなされなかった。事故の真相究明が進まない状況が、どれほど親を苦しめるか。そのつらさが身に染みているえみさんは、チャイルド・デス・レビュー(CDR)が迅速に、丹念に進むことを切望している。

CDRでは、医療や福祉、教育、警察といった関係機関が「子どもの命を守る」という一点を目標にして縦割り行政を排して連携する、日本では初めての試みだ。事故の原因を徹底的に検証し、再発防止策をつくり、実践していく。

現行の制度では、交通事故なら警察、保育事故は厚生労働省といったように情報がばらばらに集約され、子どもの事故に関する情報が一元化されていない。その壁を乗り越えて多機関が手を結ぶことに眼目がある。

「(わが子の死亡事故では)直後の調査がなく、本当のところがなかなかわからなかった。だけど、専門家による第三者委員会の検証で見解が出て、子どもの名誉回復になり、私も前を向いて生きていくことにつながりました。CDRも再発防止のためだけでなく、遺族が前を向いて生きていくためにも必要だと思うんです」

事故の原因を小さな子どもの行為に求めるのではなく、事故を多角的に検証し、子どもの名誉回復を図るという観点も重要だと、えみさんは訴えているのだ。同時に、遺族の立ち直りのためにもCDRはプラスに働くだろうと考えている。

厚生労働省はCDRの和訳を「予防のための子どもの死亡検証」と名付けている。前述したように、成否のポイントは、教育や福祉、医療、警察といった行政が本当に縦割りを打破して協力できるかどうかにある。その焦点は、事故に関する情報の収集だ。

えみさんはこれまで、政府の有識者会議など子どもの死亡検証に関わる組織に参加してきた。その際、いつも問題になったのは、警察の協力が得られず、事故の基本的な情報さえ、なかなか得られないことだった。

「検証委員会が速やかに立ち上がっても、警察が(捜査のために)資料を全部持っていって、検証するための材料が(委員会側に)ないこともある。資料がなくて検証ができないと困っている自治体職員もいました」

事故現場で最初に情報・証拠を集めるのは、警察の役割だ。捜査以外の目的でそうしたものを外部機関に渡すことは、刑事訴訟法の規定もあって相当ハードルが高い。ただ、警察の情報がなくても、医療機関から情報を得て、事故原因の検証が進んだことはある。

■CDRを導入しても個別事故を検証する制度は残すべき

えみさんは、さらにこう言った。

「CDRがあれば、(教育や福祉、医療などの)個別分野ごとの検証はやらなくていいという意見も出ていますが、そうじゃないと思います」

CDRの本格運用が始まったとしても、例えば、寛也君の事故では愛知県と碧南市の検証委員会が立ち上がったように、個別の事故をきちんと検証する制度は残すべきだとの指摘だ。CDRの検証委員会には、いわゆる“大御所”的な専門家が集まり、より現場に近い人の目が反映されにくくなるかもしれないからだ。

「CDRで議論されたものを保育の検証にも生かして、議論を深めていけたら」

子どもの命を何としても守るという一点で、関係者が本当に真剣に集えるのか。えみさんは期待を込めて、CDRの行方を注視している。

(初出:東洋経済オンライン、2022年9月8日)

■チャイルド・デス・レビューに関するフロントラインプレス取材班の取材が1冊になりました。『チャイルド・デス・レビュー 子どもの命を守る「死亡検証」実現に挑む』(旬報社)。ぜひ、お手にとってお読みください。

 

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