大川小学校「津波裁判」の10年 ドキュメンタリー映画が問いかけるCDR

  1. オリジナル記事

◆代償を払っても、本当に知りたい答えが得られなかった

遺族の願いは「わが子がどうして死んだのか」を明らかにすることだ。自分たちが訴訟代理人になったつもりで、独自の検証も続けた。心身の負担もあり、大病を患った遺族もいる。答えを得るためには、精神的にも肉体的にも、大きな代償を払わなければいけなかった。しかも、代償を払っても、本当に知りたい答えは得られなかった。

映画が浮き彫りにするのは、そうした現実だ。死亡検証は、直接的な死亡原因(医学的な死因)だけでなく、因果関係の解明も重要だ。特に、予防策を考えるための死亡検証であれば、後者は絶対に欠かせない。そして、どこまで踏み込むかが肝となる。

原告代理人の1人、吉岡和弘弁護士(75)は、その点についてこう語る。

「宮城県の小学校で2021年、木製のポールが倒れて子どもが死亡した事件があったんです。ポールの付け根が腐っていたのを学校が見逃してしまっていたと言うんですが、なぜ放置していたのか、そこのところに、文科省をはじめ、教育委員会がしっかりとメスを入れていかなきゃいけないんだけど……。大川小の問題とよく似ているわけです。

大川小の場合は、検証委員会もそうですけれど、5000万円近いお金を使って検証したにもかかわらず、出来上がった資料(結論)は、『逃げるのが遅かった』『逃げる先が、北上川に向かう方向だった』からだと。そんなわかりきった結論を出してしまってどうするのでしょうか。問題はその背後にあります。なぜ逃げるのが遅かったのか、なぜ北上川に向かったのか、です。

検証という名のもとに、実はごまかしがある。一見、検証しているように見えますが、実は官側ないしその加害側に何ら責任が取れない形、彼らにとっていい形で、オブラートに包んだような検証がまかり通っている。それが日本の現状じゃないか」

吉岡弁護士は、大川小の事例の一番のポイントは「なぜ50分も校庭にとどまっていたのか」だと言う。遺族による聞き取りや検証で、教務主任が裏山への避難を強く訴えたが、教頭を含めたほかの10人がそれに賛同しなかったことがわかっている(校長は被災時不在)。

遺族の1人も映画の中で、そこには人間関係の問題があったのではないかと指摘し、「そんなことでうちの息子が死んでしまったのか」という苦しい胸の内を明かしている。

「教員間の上下関係だとか、そういう、ものが言えない教育現場の問題。そういうところにメスを入れて行くのが、本当の検証だと思います」

◆改善されなければ、遺族は同じ苦しみをずっと味わう

もう1人の原告代理人、齋藤雅弘弁護士(68)も、遺族に寄り添ってきた立場から、検証について言及する。

「わが子が亡くなったときの状況は、遺族にとってとても大切なことです。それがわからないことのつらさ、大きさをどうやって自分の中で消化していくか。消化できないかもしれない。今生きている以上、背負っていくしかない。

では、どうしたらいいのか。これは本当に深い問題です。そういう立場に遺族を置かせてしまった本質はいったい何なんだ、とつねに問い続けていくことが重要ではないでしょうか。

その1つの切り口として、どのような仕組み、制度を作っていくと、今のような問題を少しでも軽くしていくために役立つか。それがあるべき方向だと思います」

「遺族の映像にショックを受けた」という寺田監督は、検証について今、このように思っているという。

「なぜ子どもが死んでしまったのか、なぜこういう状況になってしまったのか、という原点を忘れずにやっていけばいいのだけれど、そこが取り除かれてしまう。そこが大事なのに、現実はうまくいっていない。でも、改善されなければ、同じような苦しみを遺族にずっと味わわせてしまうわけです。

大川小のご遺族は、ほかの皆さんに同じような思いをしてほしくないと、10年以上闘いを続けてこられました。映画を見た方には、本当にこういう思いを同じように繰り返していいのかっていうことを、自分ごととして考えてもらいたい。次につなげていかないと。(大川小の犠牲と遺族の苦しみが)現実にあるわけですから」

◆初出:東洋経済オンライン 2022年2月3日

 

1 2

3

益田美樹
 

フリーライター、ジャーナリスト。

英国カーディフ大学大学院修士課程修了(ジャーナリズム・スタディーズ)。元読売新聞社会部記者。 著書に『義肢装具士になるには』(ぺりかん社)など。

...
 
 
   
 

関連記事