◆真実を明らかにするには裁判しかなかった
検証委員会は、被害が起きた理由として、①避難の意思決定の遅れ、②避難先の誤り、の2点を結論づけた。ただ、遺族が最も知りたいと願っていたのは、「なぜ意思決定が遅れたのか」「どうして避難先を誤った場所としたのか」だった。地元の市教委も、専門家が入った検証委員会も、結局は遺族が求める「なぜ」に答えを出せなかった。残る選択肢は、真実を明らかにしようとする公的な場、つまり裁判しかなかった。
遺族のうち19家族23人は2014年3月10日、石巻市と宮城県を被告とし、仙台地裁に損害賠償請求訴訟を提起した。そして2019年10月10日、最高裁で「平時からの組織的過失」を認めた仙台高裁判決が確定する。
学校や市教委の法的責任を追及することを遺族は当初から望んでいなかった。原告代理人もそれを繰り返し説明している。映画の観客による「追体験」も、遺族が訴訟を起こした判断は止むにやまれぬものだったことを教えてくれる。
「お上に盾突くのか」という周囲の反発や、死亡した子どもに値段(損害賠償の額)をつけなければならないという葛藤もあった。それでも彼らが提訴したのは「わが子の死の理由を知りたい」という一点だった。「金目当てだ」という誹謗(ひぼう)中傷の実態や、どのようにその苦しみに耐えていたかも、彼ら自身が映画の中で語っている。
寺田監督は、遺族が撮りためた映像を見たとき、「非常にショックを受けた」と話す。「行政と話せば話すほど、どんどん溝が広がっていく。今回は文字起こしをせずに、とにかく映像を何度も見たのですが、見るたびに動揺しました。何のために話し合っているんだろう、なぜ質問に対して全然違う答えが出てくるんだろうか、と。見ていて非常につらかった」
その経験が作品の形を決めた。
「見ているほうが、自分が参加しているように思ってもらえれば一番いい、と。とにかく客観的にあれを見るんじゃなくて、自分が当事者となって見ていただけたら、という思いで作りました」