「革命の英雄」が独裁者に変わった国――ニカラグア、裏切られた人々の声

  1. オリジナル記事

◆40年後の抗議デモ 「おまえの息子が死んだ」

 2018年4月18日。
ニカラグア政府は、年金の減額や保険料の値上げといった社会保障制度改革を決定した。すると、まず、学生らが反発。SNSでデモを呼び掛けると、政府に不満を持つ人々の間で抗議の大波が広まった。
反政府デモに対する政府の対応は苛烈(かれつ)だった。警官隊のほか、退役軍人やサンディニスタ民族解放戦線の青年部らによる狙撃隊を組織。首都などが数カ月間、再び“市街戦”の舞台になる。自動小銃で武装する彼らに対し、市民はバリケードを築き、鉄パイプの手製「迫撃砲」や投石で応戦した。

 この“市街戦”の様子をアントニオさんは警察署内のテレビで見ていたという。銃声が鳴り、血を流す人々を画面が映しだしていく。
この前後、息子が反政府活動に参加していることを知った。アントニオさんが「危険だ。もう行くな」と忠告すると、息子は「自由のためだ」と反論した。40年前の自分と同じだった。

「平和的なデモ」の様子を伝える新聞。50万人の列は長さ10キロに及んだという(撮影:柴田大輔)

 5月30日、一連の衝突で子どもを失った母親たちが「平和的なデモ」を呼びかけると、首都マナグア中心部を50万人以上の市民が埋め尽くした。40年前にゲリラ兵士を迎えた市民の数を大きく上回っていた。ところが、政府はこの非武装デモに対し、狙撃隊を送り込んだ。
その夜、アントニオさんの携帯電話が鳴った。
兄からだった。
嫌な予感がした。
兄は「おまえの息子が死んだ」と告げた。デモに参加中、頭を撃たれ、即死だった。

 これをきっかけに40年間勤めた警察を辞めたアントニオさんは、こう振り返る。
「(息子の死を聞いた瞬間)何も考えられなくなりました。ただ、もうここ(警察)では働けないと思いました。制服を脱ぎ、上司に差し出しました……。暴力はまっぴらです。(自分が参加した)革命政権はもう終わりだと感じました」

アントニオさんの息子の血が付いたニカラグア国旗(撮影:柴田大輔)

◆「今のニカラグアに自由はない」

 2019年の首都マナグアは一見、普通の都会と変わらなかった。大勢の人が行き交い、前年の混乱は嘘のようだ。
もちろん、平穏は表面上のことである。国内の至る所で住民相互の“監視網”が築かれ、デモや集会といった反政府活動は抑え込まれているという。利用したタクシー運転手は「車の外で政治的な話はしない」と言った。

 メディアへの締め付けも厳しい。
全国紙の「ラ・プレンサ」と「ヌエボ・ディアリオ」は、弾圧に走る政府を批判したところ、新聞発行に必要な用紙やインクの流通を止められ、大幅な紙面縮小を余儀なくされた。
「ヌエボ・ディアリオ」のダグラス・カルカチェ副編集長は今年8月、取材にこう語った。
「経済的、物流的な締め付けの上に、記者が(政府側に)脅迫されています。すでに潰されたメディアもある。それでも私たちは弾圧には屈しない。事実を伝える役目を果たします」
このインタビュー後の9月末、同紙は結局、廃刊に追い込まれた。

「ヌエボ・ディアリオ」紙のダグラス・カルカチェ副編集長(撮影:柴田大輔)

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 この記事は<「革命の英雄」が独裁者に変わった国―ニカラグア、裏切られた人々の声>の一部です。2019年11月25日、Yahoo!ニュースオリジナル特集で公開されました。
取材は、フロントラインプレスのメンバーで中南米取材に強い柴田大輔さん。記事はこのあと、強権支配と革命、独裁にほんろうされてきた人々の声をふんだんに盛り込んでいきます。

  記事の全体はYahoo!ニュースオリジナル特集で公開されています。下記リンクからアクセスしてください。Yahoo!へのログインが必要な場合があります。また、双方では写真の配置が一部異なっています。
「革命の英雄」が独裁者に変わった国――ニカラグア、裏切られた人々の声

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柴田大輔
 

フォトジャーナリスト。

1980年、茨城県生まれ。写真専門学校を卒業後、フリーランスとして活動。ラテンアメリカ13カ国を旅して多様な風土と人の暮らしに強く惹かれる。2006年からコロンビア取材を始め、生活を共にしながら住民の側から見た紛争、難民、先住民族、麻薬問題を取材。その他...

 
 
   
 

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