◆自分の行為を自分で「決める」
藤原さんは両手、両足を動かすことができない。体の動きを必要とする行為には、どんなささいなことでも「介助者」が必要になる。それでも18歳のときに親元を離れ、「自立生活」に入った。一人暮らしは既に20年余り。ウェンディさんに会った10年ほど前の時点でも、自立生活は手慣れたものだった。
どうしても自立したかったんです、と藤原さんは言う。
「小学校3年生のとき、筋ジスの患者がいる病院に行って、病室を見た。6人部屋です。ベッドに筋ジスの患者が寝かされていました。言葉は悪いですが、監獄だと思ったんです。絶対にいやだった。親の介助をずっと受けて暮らしていたら、親が倒れでもしたら、こういう所に来なきゃいけないのか、って。怖くなりました。お金を稼がないと介助者を雇えないから、とにかく勉強すれば道が開けると思ったんです。大学に行こうとするなかで、協会と出合い、自立を勧められました」
藤原さん。呼吸器をつけて生活している
夕食はいつも自宅で取る。
取材の日、藤原さんは「ご飯」「厚揚げ」「はんぺん」「肉」といった指示を次々に出していた。その都度、介助者がはしで食べ物を取り、藤原さんの口に運んでいく。
「親元を離れて、初めて自分の人生を生きている、って思えました。自立生活をしてみると(重度の身体障がい者も)地域で生きていける、って分かったんです」
西宮市の「メインストリーム協会」の理事長は、廉田(かどた)俊二さん(58)である。自身も障がい当事者だ。中学生のときに事故に遭い、以降、下半身に麻痺が残る。
「障がい者は自分で自分のことをできない? だとしたら、生まれた瞬間に自立できない人になってしまうのか? いやいや、それは違うでしょう。両手なしに生まれてきたら、自分だけで靴下も履かれへんとしても、介助者がおって、障がい者が『黄色い靴下履くからタンスの引き出し開けて取って』と言って、キュッて履いたら、自分だけで履いたのとどこがちゃうの?」
そこに「自立生活」の理念があるという。
「自分でやるっていう動作じゃなくて、自分の行為を自分で決めることが大事なんです。『決める』こと。これが自立なんです」
メインストリーム協会理事長の廉田俊二さん。車いすでヒッチハイクをするなどして、国内外の旅も楽しんできた
◆根本から社会の仕組みを変えたい
西宮市で1カ月半の研修を終えたウェンディさんは、コスタリカに戻ると、どこか吹っ切れたように動き始めた。
自立生活を始めることが最初の目標になった。家を出るには、家族以外の介助者が必要になる。当時のコスタリカには公的サービスはなく、資金の提供者も探さねばならない。すると、翌2010年には、もう支援者と出会えた。「自立生活は自分だけでなく、他の障がい者にも必要なことなんだ」と言って、両親を説得した。
「自立生活センター・モルフォ」のオフィス。自然豊かな森の中にある
彼女の住む町は人口4万5000人ほど。コスタリカ南部の静かな町だ。その町に2011年、ついに「自立生活センター・モルフォ」が発足した。障がい者が運営し、障がい者にサービスを提供する団体であり、介助者の派遣や自立生活の実現に向けた研修などを手掛ける。
ウェンディさんは言う。
「私の夢もかないました。昼間はここ『モルフォ』での仕事に打ち込み、夕方から大学に通ったんです。いったんは諦めたけれど、実現させました」
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この記事は<「彼女は、チェ・ゲバラよりすごい」――コスタリカの法律を変えた車いすの女性と日本人>の前半です。2019年10月29日、Yahoo!ニュースオリジナル特集で公開されました。取材と執筆・写真撮影は柴田大輔さん。カメラマンの柴田さんはフロントラインプレスのメンバーで、中南米取材のほか、障がい者問題などに傾注しています。
記事はこのあと、コスタリカ国会への働きかけ、車いすによる首都までの280キロに及ぶデモ行進、そして障がい者を支援する法律の制定まで続きます。コスタリカでのそうした活動にも日本人が深く関わっていました。
記事の全文はYahoo!ニュースオリジナル特集で読むことができます。下のリンクからアクセスしてください。Yahoo!へのログインが必要になることもあります。
「彼女は、チェ・ゲバラよりすごい」――コスタリカの法律を変えた車いすの女性と日本人
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