◆空襲体験 苦難の「ワン・オブ・ゼム」
大阪大空襲で犠牲になった朝鮮人は、当時の人口統計などから2000千人弱といわれる。しかし、朝鮮人の空襲体験は証言集にもほとんどない。「大阪空襲被災者運動資料研究会」の横山篤夫さん(79)はこう説明する。
「朝鮮人には、日本本土に渡ってくる時に故郷を捨てなければいけないとか、日本に着いてからの差別とか、生きていく上で大きな葛藤や苦労があった。そして、何とか生活できるようになったところに空襲です。過酷な経験でした。ようやく太平洋戦争が終わって故郷に帰ろうとしたら、(1950年に)朝鮮戦争が始まって、帰れなくなったわけです」
横山さんによると、大阪空襲を体験した人たちでつくる市民団体「大阪大空襲の体験を語る会」は450編もの証言を記録している。それなのに、証言は全員日本人で朝鮮人は1人もいない。
横山篤夫さん(左)。金さんから体験を聞く
朝鮮戦争が終わると、日本に住む朝鮮人たちも「朝鮮半島の北側の出身か、南側か」「韓国と北朝鮮、どっちを支持するか」で対立するようになった。対立が抗争に転じ、死者が出たこともある。
「そういう経験をいくつもしているから、朝鮮人の空襲体験は、大変な出来事のワン・オブ・ゼムなわけです。日本人も厳しい生活を送っていたけれど、空襲が一番大変な出来事だった。でも、朝鮮人にとって、空襲は数ある大変な出来事の一つにすぎない。だから、(各地にあった)証言の収集活動に朝鮮人は参加しなかったんじゃないか。そう感じています」
朝鮮人が1939年から「創氏改名」を強いられ、日本風の名前だったことも影響している。「語る会」が集めた450編の体験に朝鮮人はいないが、各地の体験集の中には「日本人」の話として埋もれている可能性がある。
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この記事は「1万5000人が死亡した大阪空襲 語られてこなかった朝鮮人の被害体験」の前半部分です。2020年8月13日、Yahoo!ニュースオリジナル特集で公開されました。記事はこのあと、「闇市を頼りに生き延びた」「日本人に負けたらあかん」「祖父を本名で記録してほしい」と続きます。
取材は鈴木祐太さん。フロントラインプレスのメンバーで、大阪に住んでいます。情報公開請求を駆使し、政治資金などを分析することにも長けています。
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1万5000人が死亡した大阪空襲 語られてこなかった朝鮮人の被害体験
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