◆残業時間 記録と実態に大きな食い違い
昨年7月30日に行われた第2回弁論準備は、この訴訟の一つの山場だった。原告側が裁判所に提出した証拠書類によって、とんでもない事実が明るみに出たのだ。
実は、男性職員と産業医との面談が実現した際、県総務局総務室は医師に対し、事前に男性職員の残業時間を伝えている。証拠書類によると、財政課時代の残業時間は2016年4月が47時間、5月77時間、6月72時間、7月70時間、8月79時間、9月は87時間だった。月平均では72時間に過ぎない(それでも相当に多いが)。地方公務員災害補償基金神奈川県支部がパソコンのログオン・ログオフ記録から確定させた残業時間と大きく食い違っている。
つまり、総務局総務室が把握していた書類上のデータによれば、16年春段階の残業時間は面談の義務基準「残業80時間超」に達していない。義務になったのは、9月の87時間になってからだ。そして、ようやく11月に面談に至ったことになる。しかも、産業医は「月平均151時間」という実態とは全く違う「月平均72時間」という数字を知らされ、男性職員との面談に臨んでいたのだ。
産業医は労働安全衛生法などに従い、面談を終えると、労働者一人ひとりについて「面接指導結果報告書」を作成する。男性職員の報告書はどうだったか。書面にはこう記されている。
「配慮すべき心身の状況 あり」
「診察区分 要観察」
「疲労蓄積 軽」
「就業区分 普通」
「事後措置としての指導・勧告の必要性 不要」
「次回面接 予定なし」
「労働の圧縮 特に指示なし」
心身の状況には配慮すべき状況が見られるが、疲労の蓄積は大したものではないし、働き方についての指導も不要、仕事を減らすなどの措置も特にない――。正しい残業時間が医師に伝わっていなかったためか、この報告書からは切迫した状況が何もうがかえない。男性職員が県庁近くのトイレで生涯を終えたのは、この4日後のことだ。
◆「誰が見ても異状な状態だったと思います」
男性の母親は当時、何を思っていただろうか。裁判所に提出した意見陳述書などには、こうつづられている。
「財政課に異動後は土日も休めず、日に日にやつれていきました。『頭が痛い、頭が働かない』とこぼし、8月ころからは表情がなくなりました。誰が見ても異常な状態だったと思います」
「入院するように何度説得しても『身体が悪いわけじゃない。みんなに迷惑をかける』と出勤を続け、毎日無事に帰宅してくれることだけを祈っていました。医師から言われれば入院してくれるのでは、と面談が最後の望みでした」
これに対し、被告・神奈川県は準備書面の中で、面接日の設定が遅きに失したこと、正しい残業時間が産業医に伝わっていなかったことについては「認める」と記さざるを得なかった。ただし、残業時間をめぐる実態と記録の大きな食い違いがなぜ起きたのかを県側は法廷で明らかにしなかった。
では、書類上の残業時間を算定しているのは誰か。この男性職員に限ったことなのか、組織的なことなのか。
フロントラインプレスは神奈川県に問い合わせた。総務局組織人材部人事課の担当者は「残業時間は自己申告制になっているので、(公務認定された残業時間との開きについて)詳しいことは本人ではないので分からない」と回答した。その本人はもういない。
神奈川県庁に勤務する40代の男性職員は、取材に対して次のように語った。
「財政課は『不夜城』と言われて県庁内で一、二の忙しい職場です。(自殺した職員は)実際の残業時間を申告できなかったんでしょう。そんなことをしたら毎月のように医師面談を受けることになるし、そうなったら、課長の管理責任が問われることになる。産業医に正確な残業時間が伝わっていたら……とは思うけど、そうした仕組みというか、体制には今もなっていません」
財政課と同じ本庁舎に勤務する別の職員にも取材した。
「遺族による裁判で過労自殺が表沙汰になって以降、どの部署もなるべく残業を減らそうと取り組んでいます。けど、大幅な人員増でもなければ、実態として全員が80時間以内(の残業時間)にするのは無理。生の残業時間をそのまま申告できる職場なんて、今だって限られています」