「ドヤ街」で労働者を支援する理由【下】 寿日雇労働者組合 近藤昇さん(73)

  1. オリジナル記事

◆中学生による路上生活者襲撃事件

 横浜では1983年、市内20か所以上で中学生が路上生活者を襲う事件が発生し、3人が命を失った。なぜこんなことをしたのか。補導された中学生たちは「ゴミを掃除した」「骨が折れる音が気持ちよかった」と答えたという。最近では人気ユーチューバーでメンタリストのDaiGo氏が「ホームレスの命はどうでもいい」といった差別的な発言で炎上した。

 83年の事件のころと今と比べ、路上生活者に対する社会の意識はそう変わってないと思います。変わってはいません。やっぱり今でも襲撃事件は起きてます。寿を中心とする関内地区でも、今年、酔っ払い3人に蹴られて救急搬送された人がいます。命を落とすほどの大けがではないけど、結構あるんです。去年、岐阜では男子学生らによる殺人事件がありましたよね? この周辺でも殴るけるとか、石を投げられるということは日常茶飯事なんです。

 83年のとき、「ごみを掃除した」というのが中学生たちの動機でした。それは市民社会のありようの反映なんですよ。

 公園で寝てると、管理者から「出て行ってください」と言われ、言うこと聞かないと警官を呼ばれることは今もあります。「公園で寝てる人たちは不法占拠してるんだから悪い人たちだ」というのが社会の意識だったなら、石を投げるということは正義の執行なんですよね。大人社会が、行政も教育の現場も含めてね、経済的に困ってる状態なので部屋すら持てないんだということをね、ちゃんと教えれば……たいへんな状況なので外にいるしかないんだということをね、ちゃんと伝えていれば、もう少し違うと思うんです。「あんな不法占拠、困るよね」と言われちゃうと、「悪い奴らだ」と思っちゃうんです。あの事件は衝撃的な事件だったと言われてますけど、学校の先生たちはたいへんなショックを受けたとされてますけど、果たしてどれだけ教訓になっているのか。

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◆そもそも人が路上にいるとはどういうことか

 そもそも人間が路上にいるとはどういうことか、と。

 それを教えていないから、怠け者だと思ってしまうんです。でも、怠けて外にはいられないんです。外はものすごくつらいです。特に冬なんかは寒さでぐっすり寝られないですし、管理者から「ここで寝てはダメ」と言われるし。私は以前、季節の変わり目ごとに横浜駅近くの路上で試しに横になったりしたんです。そうすると、肩の方からジーンと冷えてくるんです。季節が変わるということは、それまで通りの生活ができなくなっていくんです。8月も下旬になると、明け方はもう寒いです。毛布が必要です。7月の下旬から8月上旬くらいです、外で快適に寝られるのは。それ以外の夜は普通の感覚では冬に近いですよ。そうした路上の人への排除と襲撃は今も続いています。社会の認識は基本的に変わってないと思います。ホームレス問題というのがマスコミなどで取り上げられるから社会的課題になってるけど、だからと言って彼らに温かい政策をすべきだという人が多数になっているわけではないんです。

 特別の人が路上に行くわけではないということを、可能な限り言い続けないといけない。

 本当はね、炊き出しなんかしなくていいんですよ。そういう社会であってほしいんです。冬の寒空の下ですきっ腹を抱えて寝ることがどんなにつらいか、どんなに情けないか。路上の人を怠け者だと思っている人は、自業自得だろうと思ってる。自己責任論は根強いですよ。見下しちゃうんですよ。そうした苦境にある人を。路上の人の多くは本当に普通の人なんです。世間が言うような、ろくでもない奴ばかりじゃないんです。ただ経済的に恵まれなかっただけなんです。簡単には理解は広がらないですけど、徐々に、地道に、と思ってます。だからボランティアであれ、なんであれ、どんなきっかけでもいいから「寿に来てください」と呼びかけてます。劇的に人の意識が変わる、意識を変えようなんて考えてるわけじゃなくて。

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◆路上の人たちは怖いか? 本当は逆 「路上の人たちは通行人が怖い」

 一般の人の多くは路上生活者を「全然分からない、理解できない怖い人たち」とやっぱり思ってるんですよ。野宿者は怖い、ホームレスは何するか分からないから怖い、と思ってるんです。

 本当はその裏返しで、路上の人たちは通行人が怖いんです。近づいてくる靴音が怖いんです。蹴られたりするんだから。子供も何するか分からないから怖いんです。双方が距離を置いて怖がってるんですよ。だから、接触できるような機会が増えていくほど、多くの路上生活の人は「ありがたい。助かった」と思ってるんですよ。「社会ってのは捨てたもんじゃない」って。「俺たちは殴られけられしてきたけど、こういうこと考えている人たちもいるんだ」と。

 自分一個の責任ではどうにもならないことで職を失い、家を失うということを本人の責任に帰していいのか、と思います。その人たちが一時的に苦境に陥ってるんだから、その人たちを応援して立ち直ろうとする気持ちを支援する。その一つが炊き出しだと思っています。コロナ禍ではそういう場がなくなっていってるんですよ。寿でもコロナ以前は1日1食なら何とかなると言われていました。でも今はパンの配布とかを中止している団体もあるので、おそらく毎日は食べられていない人もいるでしょう。炊き出しと(路上の人のための)夜のパトロールはやめられないし、やめてはいけないと思っているんです。でないと路上で人が死んでいきますから。それだけは食い止めないと。

=「ドヤ街」で労働者を支援する理由【上】はこちら

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本間誠也
 

ジャーナリスト、フリー記者。

新潟県生まれ。北海道新聞記者を経て、フリー記者に。

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