17年間の時を隔てた圧倒的スクープ「北朝鮮による日本人拉致事件」報道

  1. 調査報道アーカイブズ

◆他メディアに無視されても諦めず

 もっとも、一連のスクープは、他メディアから黙殺された。後を追う報道はまったく出ない。「北朝鮮がそんなことをするわけがない」「あり得ない」といった受け止めだったのだろう。当時はまだ、韓国が軍事政権だったこともあり、メディアや政治家、研究者らも含め少なくない日本人が「北朝鮮は平和勢力」と信じていた時代だ。産経のスクープによって、「北朝鮮」と「拉致」を結び付ける動きは大きくならなかった。

 なぜ、新聞やテレビが後追いしなかったかについて、阿部氏は自著「メディアは死んでいた〜検証 北朝鮮拉致報道」でこう書いている。

 荒唐無稽と断じたライバル紙の記者もいたが、総じて半信半疑で、「確証がないじゃないか」という受け止め方だったように思う。確かに、確実な証拠などありはしない。そんなものがあれば、苦労はしない。
 しかし、たとえ確証がなくても、事実に基づく推察は時に新聞記事に足りうる、というのが私の信念であり、先輩記者や紙面掲載に踏み切った編集幹部も同様だったに違いない。確証はなくても、大きな記事にするほどに疑いが濃厚であることを報じたのだ。

(中略)

 確証がなければ書けない、書かないのであれば、一切の疑惑報道などできない。「疑いが強い」「可能性が高い」といった表現の報道は今日、いくらでもあるし、あって当然だ。

 一時は「虚報ではないか」とまで言われた産経新聞のスクープも、時を経て新たな展開へとつながった。

 1988年1月の通常国会でのことだ。民社党(当時)の委員長が大韓航空機爆破事件の容疑者に関して質問した際、産経新聞が報じていたアベック3組の行方不明事件に言及。これらは北朝鮮の犯行ではないかと質問したのだ。
 さらに同年3月には、国家公安委員長が国会答弁で、「アベック3組は北朝鮮による拉致の疑いが濃厚」と発言。同年中には、欧州で行方不明になっていた男女3人の若者が北朝鮮にいることも明らかになる。91年には警察庁が、大韓航空機爆破事件の容疑者の日本語教師役だった「李恩恵」は東京都内で行方不明になっていた田口八重子と断定した。

北朝鮮に拉致されながら、日本に帰国した人たち(日本政府の公式動画から)

◆横田めぐみさんの拉致もスクープ

 産経新聞は1997年2月3日、朝刊1面トップで決定打を放った。1977年に新潟で行方不明になった女子中学生・横田めぐみさんは北朝鮮に拉致された疑いが強まったと報道したのである。学生服姿のめぐみさんの写真を添えた記事は「北朝鮮亡命工作員証言 『20年前、13歳少女拉致』」「新潟の失踪事件と酷似 韓国から情報」というスクープだった。

 めぐみさんのスクープは、拉致問題に取り組んでいた日本共産党の国会議員秘書・兵本達吉氏から寄せられた。共産党と産経新聞は、いわば犬猿の仲。しかし、拉致問題に関しては産経も共産党もないとして、2人は個人の立場で協力し合っていく。そうした経緯は前掲書「メディアは死んでいた」に詳しい。人々の熱意と行動が、事態を動かしていく様子が手に取るように見えてくる。

娘めぐみさんの奪還を訴える横田滋さん夫妻(日本政府の公式動画から)

 産経新聞は、過去に「虚報」とされた1980年1月のスクープと、17年後の横田めぐみさんのスクープの2件を合わせて1997年度の新聞協会賞を受賞した。これだけの時を隔てた記事がセットで選ばれたのは、異例中の異例だった。

■参考URL

単行本「メディアは死んでいた 検証 北朝鮮拉致報道」(産経新聞出版)
1980年、黙殺された「北朝鮮拉致事件」特報(日経ビジネス)
北朝鮮による日本人拉致問題(日本政府)

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本間誠也
 

ジャーナリスト、フリー記者。

新潟県生まれ。北海道新聞記者を経て、フリー記者に。

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