◆亡くなったのはどんな人だったかを伝える英米メデイア
新型コロナウィルスをめぐる報道が、引きも切らない。そんな中、毎日新聞は1月24日朝刊で、『コロナ感染巡る報道 個の死、伝えた米英/日本は「匿名志向」』と題する記事を掲載した。コロナ死をめぐる英米と日本の報道の違いを伝える記事だ。一般人であってもその名前を明示しながら個別のライフヒストリーや死に至った事情にまで踏み込む英米の報道。それに対し、日本では、芸能人ら一部の著名人以外は、個別の死が報じられることはない。
毎日新聞の記事は、次のように始まる。
累計感染者数が世界最多の米国や、首相らが感染した英国で、メディアはどう報じたのか。
<38歳のニッキ・バスは看護師で、3人の娘の母親だった><74歳のローズマリー・アレンは、ダンスを愛した>――。米フロリダ州の地方紙タンパベイ・タイムズは「1000の名前、1000の物語」との書き出しで、新型コロナによる州内の死者の紹介をホームページ(HP)に掲載している。英大手紙ガーディアンも、顔写真を付けて犠牲者を追悼するコーナーをHPに設けている。
日本の報道はもともと匿名主義ではない。事件事故のニュースでも、被害者・加害者とも多くは実名で報じられる。ただ、コロナ禍においては、誰がどのようにして亡くなったかは、ほとんど報道されてこなかった。連日、「死者の数」として数値だけがニュースになった。医療現場のルポなどでも、患者が個人名で登場することはほとんどない。 これでは、一人ひとりの人間の死に対する悲しみを社会が共有できないのではないか。この記事を執筆した青島顕記者は、そうした問題意識を持っている。
◆「顕著な匿名志向は身内を失った人と悲しみや憤りを共有できない」
英国の報道事情に詳しい専修大教授の澤泰臣氏(新聞学)は毎日新聞の記事で、次のように指摘する。
コロナ禍で名前や行動などを報道することを自粛しようとする動きがより強まった。
顕著な匿名志向は身内を失った人と悲しみや憤りの共有をできなくし、ひいては問題の深刻さや、政府の失策への感度を下げる可能性がある。
コロナ禍での実名・匿名報道に関する問題は、パンデミックが起き始めた2020年中頃には、既にあちこちで指摘されていた。例えば、ハフィントン・ポスト日本版は同年6月、『「一人一人の命、忘れない」アメリカメディアの実名の取り組み』と題する記事を掲載。米国のメディアでは、なぜその人が死ななければならなかったのかを当人の名前付きで報じる傾向にある、と伝えた。
5月24日のニューヨーク・タイムズの紙面の1面も、亡くなった千人分の名前と人となりの説明で全面を埋め尽くした。「10万人と書くだけではその重みを実感できなくなってくる。『数字慣れ』が起きているのではないか」。この編集局の問題意識がこういった形になったという。情報は、270の地方紙や地元テレビ局などから集めた。
アメリカの全国紙USATodayも実名で報道。あまりにも多くの死者を前に一人一人の命に向き合おうとする。
「アメリカは1月21日に最初の感染者を確認した。その1ヶ月後には、初めて感染による死亡者を確認。その翌週から10時間ごとに死者が出て、先週からは毎秒ごとに誰かの命をこの世から失っている」と言う冒頭で始まる。100人の顔写真と人となりをあげ、10万人の中の100人の横顔から10万人の命に思いをはせて欲しいと結ぶ。
日本では、コロナ感染者に対する差別が問題になっている。感染者の多い地域からの来訪者を無くすため、商業施設の駐車場などで県外ナンバーを“摘発”する動きもあった。そうした中で、個人名を出しての報道が続けば、当事者やその周辺に思わぬ二次被害が生じる恐れがある。それでも、多くを匿名社会の中に閉じ込めてしまう報道の在り方は、きちんと検証すべきかもしれない。
『コロナ感染巡る報道 個の死、伝えた米英/日本は「匿名志向」』(毎日新聞 2022年1月24日)
『「一人一人の命、忘れない」アメリカメディアの実名の取り組み』(ハフィントン・ポスト日本版 2020年6月28日)
『100,000 lives/A nation mourns those lost to coronavirus』(USA TODAY)