理不尽に命を奪われた者たちの思いとは? 「人型パネル」は物語る

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◆「苦しみは報われないが、すがるものも必要」

田中さんは仕事を辞め、自宅に引きこもった。2人の死に向き合えないまま、買い物も人目を避けて夜にひっそり行く。そんな生活を1年以上続けると、今度は後遺症のリハビリとして始めたランニングに「考えずにすむから」と、のめり込んだ。

「(裁判で加害者の責任が問われても)遺族の苦しみは報われるものではないよ。でも、すがるものが必要。メッセージ展は延々と続く。だからよかった。救われた。(閉館するミュージアムが)どこに行っても、いつでも誰でも来られるような場所にしたいね」

メッセンジャーを仕上げる田中豊さん(左)(写真:穐吉洋子)

元教室で、田中さんの作業が進む。

各地で並行して行われるメッセージ展のためには、子ども2人の「分身」をもっと作らなければならない。型取りが終わると、次はメッセンジャーの足元に置く靴だ。2人が履いていた靴は長年の展示でさすがにくたびれている。

「成長に合わせ、大人サイズの靴を買おうかな」と言う田中さんに、鈴木さんが「それだと、メッセンジャーの写真と身長と合わなくなっちゃうから説明がいるよね」と返す。

田中さんはミュージアムが開館した2010年9月、自宅のあった東京都江戸川区から約70キロをマラソンで駆け抜け、オープニング・セレモニーに出席した。あれから12年。自らの手で生み出したばかりの、新たなメッセンジャーの肩に手を掛け、「感慨深いね」と笑顔で記念写真に収まった。

◆いのちのミュージアムは現在、ギャラリーやアトリエを併設できる施設を探すしている。生命のメッセージ展は引き続き各地で開催予定。詳しくは、いのちのミュージアムHPへ。(記事中の年齢昨年12月の取材時のものです)

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穐吉洋子
 

カメラマン、ジャーナリスト。

大分県出身。 北海道新聞写真記者を経て、ウェブメディアを中心に記事、写真を発表している。

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