「戦争体験のない自分にできるのか?」戦後世代が受け継ぐ“語り”

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「戦争体験のない自分にできるのか?」 戦後世代が受け継ぐ“語り” (2019・8・15 Yahoo!ニュース特集)

 「ひめゆり平和祈念資料館」職員の尾鍋拓美さん(38)は、もどかしさを抱きながら「説明員」の仕事をこなしているという。戦後74年。沖縄戦の体験者は少なくなり、自らの口で経験を伝える「語り部」も数えるほどしかいなくなった。研修などを重ねたとはいえ、尾鍋さんのような若い世代は、戦禍の記憶を引き継ぐことができるのか。直接の戦争体験者からいったい何を託されたのか。沖縄、広島、欧州。それぞれの地域で始まっている継承の試みを追った。

撮影:当銘寿夫

◆戦争を知らない自分にできるのか

 「ひめゆり学徒隊」は沖縄戦の際、沖縄師範学校女子部と県立第一高等女学校の女子生徒と教師で組織された。負傷兵の看護や遺体埋葬などに従事しながら沖縄本島南部を逃げ回り、教師も含む240人のうち136人が死亡した。
その悲劇を語り継ぐ施設が「ひめゆり平和祈念資料館」だ。那覇市内から車で約30分。修学旅行の生徒や旅行者らが大勢ここを訪れる。

 三重県出身の尾鍋さんは「説明員」になった時のことをよく覚えている。2007年、25歳の臨時職員だった。

 「いやぁ、私はちょっと、ってためらいました。なんですかね……。人と話すのがそんなに好きじゃないし、体験がない自分に戦争体験を伝えることができるんだろうか、って。(戦後生まれの先輩が説明員に採用された時も)外側の人間として(そんなことが)本当にできるの、って。見られる側にいくのは怖いと思いましたね」

尾鍋拓美さん(撮影:当銘寿夫)

 この資料館では1989年の開館後、元学徒隊の女性たちが自らの経験を直接、入館者に語っていた。転機は開館から10年後である。

 特別企画を開催しようと、体験者らがアイデアを練っていた。その最中、メンバーの1人が亡くなった。別の1人も体調を崩して活動を休んだ。そこで初めて職員や体験者は「残された時間は長くない」ことを実感したという。そして2005年、資料館は初めて元学徒に代わって説明する説明員制度を作り、職員の採用に乗り出した。
尾鍋さんはその2人目。説明員歴は13年目になる。

 学徒だった女性たちもすっかり高齢だ。体験者が直接語る「戦争体験講話」は2015年に終了し、同時に説明員らによる「平和講話」が始まった。そこでは、元学徒の女性たちが語るビデオは映されるものの、講話の場に当の女性たちはいない。

沖縄本島南部にある「ひめゆり平和祈念資料館」(撮影:当銘寿夫)

 「説明員」としての尾鍋さんにはこの間、いろんなことがあった。例えば、あるときの「平和講話」では、男子大学生の言葉が突き刺さったという。
「私、その大学生に『重みがありません』って、はっきり言われたんです。『映像で話を聞いても体験者の言葉は重みがある。でも、生で聞いても体験のない人から聞くと重みを感じられない』と。実際、そうなんだろうなって」
尾鍋さんには自負があったから、なおさらこたえた。
どんな自負だったのだろうか。それは2009年ごろに築かれたという。
「当時、資料館で活動中だった元学徒の方々と一緒に、戦時中に逃げ回った場所を実際に回って、そこで話を聞いて。大きな経験でした」
それに参加していた元学徒の女性たちは当時、17人。毎月数人のペースを守り、1日かけて一緒に過ごす。17人全員の悲劇を追体験した。それぞれの場所で映像も撮った。

 尾鍋さんが続ける。
「(体験者本人の話を実体験した場所で聞いていくと)やっぱり年々、その経験が私の自信というか、自負につながる。『私は全員から話を直接聞いてるんだ』と。説明員として平和講話の内容を作るときも、聞き取り資料を読み返すんですよ。すると、『良かった、聞いてあった』となることがあります」

 時が過ぎ、あの17人も少しずつ欠け始めた。

沖縄戦で亡くなったひめゆり学徒の遺影。ひめゆり平和祈念資料館に展示されている(撮影:当銘寿夫)

◆「ひめゆり」職員、海外へ

 戦争体験のない世代になったとき、社会は「体験」をどう伝えていくのか。その問いは、日本だけのものではない。
オランダの首都アムステルダム。その運河沿いに博物館「アンネ・フランク・ハウス」はある。
第2次世界大戦の時、ユダヤ系ドイツ人の少女、アンネ・フランクは、ナチスの迫害から逃れるため、ここを隠れ家にした。その日々を綴った「アンネの日記」は、今も世界中で読まれている。

 ひめゆり平和祈念資料館と違い、この博物館にはナチスの迫害を実体験として語る者はいない。展示内容を説明するガイドもいない。年間120万人以上が訪れる同館は、では、どうやって伝えているのだろうか。

アムステルダムの「アンネ・フランク・ハウス」© Anne Frank House / Photographer: Cris Toala Olivares

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 この記事は<「戦争体験のない自分にできるのか?」戦後世代が受け継ぐ“語り”>の冒頭部分です。2019年8月15日、Yahoo!ニュースオリジナル特集で公開されました。取材を担当したのは、沖縄在住のフロントラインプレスのメンバー、当銘寿夫さん。
戦後70年余り。戦争体験者はいよいよ高齢となり、体験を直接耳にできる時間はわずかしか残されていません。記事はこのあと、欧州の実例なども交えながら、継承の課題を探っていきます。
記事の全文は、Yahoo!ニュースオリジナル特集のサイトで読むことができます。下記のURLをクリックしてアクセスしてください。Yahoo!へのログインが必要なこともあります。また、写真の配置は、一部異なっています。
「戦争体験のない自分にできるのか?」 戦後世代が受け継ぐ“語り”

当銘寿夫
 

ジャーナリスト。

1982年生まれ、沖縄県出身。 沖縄県の地元紙・琉球新報で在沖米軍基 地問題や沖縄戦、沖縄県出身者と東京電力福島第一原発事故の関わりなどを取材・報道した。

「A級戦犯ラジオ番組で語る」「連載『原発事故とウチナーンチュ・本紙記者リポート』」の報...

 
 
   
 

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