衝撃のドキュメンタリー 大島渚監督の「忘れられた皇軍」

  1. 調査報道アーカイブズ

ノンフィクション劇場「忘れられた皇軍」(1963年、日本テレビ放送網)

 

[ 調査報道アーカイブス No.21 ]

 1910年の日韓併合から第2次世界大戦が終わる1945年まで、朝鮮半島は「大日本帝国」だった。朝鮮人たちも“日本人”として生きることを強いられ、軍隊にも“日本兵”として加わり、戦地に赴いた。このドキュメンタリー番組は、第2次大戦で日本軍の軍人・軍属として戦傷を受けながら、戦後は満足な補償を得られなかった「元日本軍在日韓国人傷痍軍人会」の人々を追った伝説の作品だ。制作は、後に世界的な映画監督として知られた故・大島渚氏。1963年8月16日に放送され、大きな反響を呼んだ。

 番組は、傷痍軍人・徐洛源さんのアップで始まる。戦地で失明し、真っ黒いサングラスを掛けている。賑わう街をよろよろと歩き、物乞いしていく。「このように醜い様子をさらして誠に申し訳ございません。私は両目を失くし、片腕を失くし。どうか、ご理解あるご支援をお願い申し上げます」と語る徐さん。顔も口元も戦火の傷が残り、皮膚が歪んでいる。カメラはそうした徐さんや仲間の傷痍軍人たちの日常を追いかけていく。

 在日韓国人傷痍軍人会のメンバーが永田町・霞が関に向かう場面がある。戦傷に対する補償を求めて、首相官邸や外務省、大韓民国代表部などで陳情を繰り返す。外務省前では、元首相・吉田茂氏の乗った黒塗りの車が何事もないかのように通り過ぎた。
 メンバーらが掲げるのは「眼なし、手足なし、職なし、補償なし」という手書き文字の入ったのぼりだ。金属の義手・義足。それらを思い切ったアップで見せていく。

 この作品の舞台は1963年の東京だ。翌年に東京オリンピック開催を控え、東京は急速に姿を変えていた。高度成長に乗り始めた日本。享楽と混雑が織りなす首都の街角。傷ついた身体をさらしながら歩く傷痍軍人たちは、すでに戦後18年の東京には不似合いだったかもしれない。
 陳情を終えた傷痍軍人たちは、酒をあおった。軍歌を歌う。その最中に活動をめぐって口論も起きた。突然、徐さんが激昂し、サングラスを外した。眼球のない両目を指で開く。さらにシャツを脱ぎ、ちぎれた片腕をさらす。叫び声。眼球のない眼窩から落ちる涙。カメラはそれをとらえて離さない。

 小松方正氏によるナレーションは言った。

 「この悲しい争い。仲間にしかぶつけることができない、やり場のない怒り。これは醜いか、おかしいか」

 ラストでは、海水浴場を行く歩く徐さんが映し出された。ナレーションは言う。

 「日本人たちよ、私たちよ、これでいいのだろうか。これでいいのだろうか」

 この番組をめぐっては、2014年1月19日に「反骨のドキュメンタリスト 大島渚『忘れられた皇軍』という衝撃」が日本テレビ放送網の「NNNドキュメント’14」で放送された。当時の作品をそのまま放送すると同時に、関係者が大島作品について語る内容だ。その中で映画監督の是枝裕和氏はこう語っている。

 大島さんが、生涯批判し続けたのは「被害者意識」ってものだったね、多分。「あの戦争は嫌だったね」っていう、「辛かったね」っていうさ、自分たちが何に荷担したのかっていうことに目をつぶって、被害意識だけを語るようになった日本人に対して、「君たちは加害者なのだ」ということを、あの番組で突きつけてるわけですよね。その強さに見入った人間たちは打ち震えたわけじゃないですか。

 社会全体の中で、多様性っていうのが失われてきていて、どんどん、特に今の政府になってから、ナショナリズムに、「保守」ではない、もうナショナリズムに改宗させられてきている、人々の信条が。それがある種の「救い」になってしまっているっていう気がしていて、それは非常に危険だなと思うんですね。やはり、多様性。だから、8割の人間を支持するのであれば、2割の側で何が出来るかっていうことを、やはりきちんと考えていくべきだなと僕は思ってるので。そこは、どの位作り手がそれを意識できるかが勝負だなと思ってますけどね。支持されてなくても、視聴率が低くても作る。

 ここでナレーションが入り、「日本でテレビが放送を開始して60年余り。未来に残すべきテレビとは、を常に問い続けていくことが、大島監督が残した私たちへの宿題なのかもしれない。大島監督は、今のテレビにいったい何と言葉をかけるだろうか」と問いかける。これに対し、是枝氏はこう言った。

 「そんなことグダグダ言ってないでとにかく作れ」って言われますよ。「作ってから考えろ」って。とにかく作ると、カメラを回す。そこから何が出てくるかってことを必死で考えるってことじゃないですかね。

 1963年に「忘れられた皇軍」を放送した「ドキュメンタリー劇場」は、民放によるドキュメンタリーシリーズのさきがけだった。作品はDVD化もされておらず、現実に視聴するのは極めて困難だ。海外の動画投稿サイトに違法アップロードされたものを偶然に目にするくらいしか機会はない。
 ただ、横浜の放送ライブラリーには収蔵されている。そこでは「街頭に立って募金活動している傷病兵の多くが韓国籍であるために、日本政府から補償を得られない元日本兵であることを明らかにし、享楽ムードの自己反省、朝鮮人に対する歴史的な原罪感、戦争犠牲者に対するヒューマニズムの復活を訴える」作品であると解説されている。

 モノクロ映像で26分。作品は第1回ギャラクシー賞などを受賞した。

■参考URL
放送ライブラリー
反骨のドキュメンタリスト 大島渚『忘れられた皇軍』という衝撃
大島渚「忘れられた皇軍」が告発した日本社会
「日本人よ、これでいいのだろうか?」と日テレが放送した大島渚ドキュメンタリーの衝撃

高田昌幸
 

ジャーナリスト、東京都市大学メディア情報学部教授(調査報道論)。

1960年生まれ。北海道新聞、高知新聞で記者を通算30年。北海道新聞時代の2004年、北海道警察の裏金問題取材で取材班代表として新聞協会賞、菊池寛賞、日本ジャーナリスト会議大賞などを受賞。

 
 
   
 

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