◆あまりの貧しさで不平を言うヒマもない
榊原洋子さん(68)も大阪府内に住んでいる。北朝鮮での作業中、事故で腰を痛めたという。その後遺症で歩く姿がぎこちない。
「父母は本当に苦労した末に亡くなった。朝鮮総連(在日本朝鮮人総連合会)の幹部たちが、過ちを過ちと思っていないのが悔しいんです。騙されて連れて行かれたんだ、と。裁判ではそれを訴えたいんです」
榊原さんは1961年、在日朝鮮人の養父母と一緒に北朝鮮に向かった。出発前から養母は病気で寝込んでいたという。養父は看病のため、度々仕事を休み、暮らしは貧困の中にあった。
帰国事業で北朝鮮に行った人から日本に届いた手紙(撮影:木野龍逸)
「希望が見えなかったときに、朝鮮総連の人たちが来るようになったんです。『向こうでは家をつくって全部整えて待っている。仕事も学校も自由に選べる』と言って帰国を勧めていました。子どもだった私は、学校の給食費などを払うことができなかったりして恥ずかしい思いをしていたこともあって、『行くって言ったらいいのに』って。父は、楽園なんていういい話があるはずない、と悩んでいたようです。でも生活がどんどん苦しくなって、帰国申請をしたんです」
取材中、榊原さんは何度も涙を浮かべた。
榊原さん家族は、中国との国境地帯に住まわされ、養父は農業に従事することになった。小学校に編入した榊原さんは「学校では先生にかわいがられた。いじめもなかった」と言う。しかし、食べ物だけはどうにもならない。「ひもじいって簡単に言いますが、何年も続くのはたいへんなこと。普通の人は食べるために忙しくて、不平不満を言うヒマもなかったんです」
総連の説明と違い、暮らしは日本にいるとき以上に厳しい。
結局、養父は1年後に精神を病んで精神病院に入院。養母はずっと寝たきりで6年後に亡くなった。北朝鮮に渡って15年余りが過ぎたとき、榊原さんは同じ境遇の帰国者と結婚し、日本にいる夫の家族からの仕送りでようやく生活が改善したという。
脱北は2003年だった。その前年には拉致被害者5人が日本に帰国。北朝鮮に対する日本の怒りが頂点に達していた時期である。
「私たち家族が生きていけたのは、夫の家族の仕送りのおかげです。もしなかったら、飢え死にしていました」
◆新聞も政治家もエンタメ作品も「帰国事業」を評価
帰国事業が進んでいた1960年代、日本では、吉永小百合主演の映画『キューポラのある街』(1962年)をはじめとし、帰国事業を肯定的にとらえるエンターテインメント作品や新聞・雑誌記事が珍しくなかった。
「地上の楽園」「韓国と比べて経済の発展は著しい」といった新聞記事もあふれた。1959年12月に第1次帰国船が新潟港を出た際も、新聞各紙は好意的に大きく報じている。
第1次帰国船は1959年12月14日に新潟港を出て、6日後に北朝鮮の清津港に着いた。その様子を各紙は好意的に大きく報道。読売新聞(左上)、朝日新聞(左下)、産経新聞(右)
送り出す側として協力していた、元新潟県在日朝鮮人帰国協力会・事務局長の小島晴則さん(87)は当時の様子を忘れていない。
「新潟の冬は風が強いのですが、第1次船が出た日の午前中は穏やかでした。それでも出港時にはみぞれまじりの北風が吹き、ずぶ濡れになる中で無数の紙テープが舞い、船の上から絶叫する声が聞こえました。朝鮮総連や日朝両赤十字の幹部も興奮していて、異常な雰囲気でした。地上の楽園、自分たちの国へ帰る、って。有頂天になっていましたね」
その後も船が出るたびに、何人もの政治家が来たという。共産党が中心になって設立した「帰国協力会」の委員には、吉田茂内閣で国務大臣を務めた岩本信行、自民党副幹事長だった小泉純也という大物代議士(いずれも当時)や社会党議員も名を連ねていた。
「協力会幹事長だった社会党の帆足計(衆議院議員=当時)と一緒に1960年に訪朝した岩本議員は帰国後、『日本は地獄で北朝鮮は天国だった』って。新聞は読売も産経も朝日も、みんな歓迎でしたよ」
小島晴則さん。帰国事業に協力したことを悔いている(撮影:木野龍逸)
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この記事は「日本で『北朝鮮政府』を訴える――『地上の楽園』に騙された脱北者の闘い」の前半の一部です。フロントラインプレスのメンバー、木野龍逸さんが取材を担当。2018年11月14日、Yahoo!ニュースオリジナル特集で公開されました。
1910年の日韓併合条約で日本の領土となった朝鮮半島。第2次世界大戦で日本が敗北する1945年まで35年間、朝鮮半島の人々は「日本人」として暮らしてきました。日本と朝鮮半島は同一国家だったことから、大勢の人々が往来しました。そうした歴史の上で「北朝鮮と日本のいま」を考える際、この記事は参考になると思います。
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日本で「北朝鮮政府」を訴える――「地上の楽園」に騙された脱北者の闘い
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