“声なき声”を拾い、集め、現代の貧困を活写したNNNドキュメントの秀作「ネットカフェ難民」 

  1. 調査報道アーカイブズ

日本テレビ放送網(2007年)

[ 調査報道アーカイブス No.46 ]

◆「ネットカフェ難民」を知らしめた番組

 1990年代の日本は、バブル経済崩壊のあおりを受け、長い不況が続いた。銀行・証券が連鎖的に経営破綻し、大型の経済対策も効果が出ない。そんな「失われた10年」はやがて、リーマン・ショックを挟んで「失われた20年」になり、そして「失われた30年」とでも言うべき状況になっていく。そんなさなかの2007年1月、日本テレビ放送網が放送する深夜の「NNNドキュメント」で「ネットカフェ難民〜漂流する若者たち」がオンエアされた。

 「ネットカフェ難民」という言葉は、事実上、この番組から生まれ、時代を画すキーワードとなっていく。

 番組は冒頭、シュウジという男性を軸に展開する。彼は既に1年近くをネットカフェで暮らしていた。代金を節約するため、ぎりぎりまで外で過ごし、深夜料金が適用になる時刻に駆け込む。食費は1日300円程度。のり弁1つやバーガー1個を3回に分けて食べる。夜が明けると、携帯で派遣会社と連絡を取り、現場仕事へ。仕事で名前を呼ばれることはない。「16532」という番号が彼の“名前”だ。「16532、現場に向かいます」「16532、仕事を終えました」といったショートメールを派遣会社に打つ。交通費はない。深夜手当もない。社会保険はあるわけがない。地方の母子家庭で育ち、高校を出た後は東京で働き、母や弟・妹のために実家に仕送りを続けていた。そうこうするうちに、自らの生活費を工面できなくなり、アパートを出て、ネットカフェを転々とするようになったのである。

イメージ

 

◆「……交通費を出しただけで収入はなく、マイナスだった」

 番組を制作した日本テレビ放送網のディレクター・水島宏明氏は早稲田大学での講演で、こう語っている。シュウジさんに密着する中で驚いたのは、派遣で働くということの不安定さだった。見ると聞くとでは大違いだったのだろう。学生たちを前に水島氏は吐露する。その講演を収録した書籍『「境界」に立つジャーナリスト』から引用しよう。

 日雇い派遣なんかの場合は特にひどくて、グッドウィルの支店に電話して、明日仕事はありますか?と聞いて、「あります。池袋の駅前、8時集合です」と言われて、「8時集合ですね」と約束をする。ところが行こうとする途中で、キャンセルですっていう電話が入ってくる。そうすると今日は働いて7000円もらえると思って1日空けていたのに何ももらえない。1日、パーです。シュウジさんが実際に経験したんですが、都内の集合場所に行ったらもういっぱいで君はキャンセルだと言われ、でも横浜に行けば仕事はあるよ、と言われて横浜まで交通費かけて行った。そしたらそこでも、いやもう足りているよ、でも埼玉なら、と言われて今度は埼玉に行って、結果はやはり同じ。3カ所行ったけれども、交通費を掛けただけで、収入はなく、マイナスだった。

 もちろん、こうしたことを可能たらしめている背景には、小泉政権時代以来の労働“改革”がある。水島氏らのクルーはその構造的問題も通底させながら、「ネットカフェ難民2」「ネットカフェ難民3」と番組をシリーズ化していく。

1

2
高田昌幸
 

ジャーナリスト、東京都市大学メディア情報学部教授(調査報道論)。

1960年生まれ。北海道新聞、高知新聞で記者を通算30年。北海道新聞時代の2004年、北海道警察の裏金問題取材で取材班代表として新聞協会賞、菊池寛賞、日本ジャーナリスト会議大賞などを受賞。

 
 
   
 

関連記事