福島原発事故の30年前に暴かれていた原発下請け労働の実態 「原発のある風景」が伝えたもの

  1. 調査報道アーカイブス

柴野徹夫氏(1983年)

[ 調査報道アーカイブス  No.54 ]

◆“原発ジプシー”とは何者か?

 1979年の夏が訪れる前、ジャーナリストの柴野徹夫氏は“原発ジプシー”に関する話を耳にしたという。それは仕事仲間から、ささやきのように伝わってきた。原発ジプシーとは何か、どういう存在なのか、すぐには想像もできなかったが、非常に気になる話だった。柴野氏が取材に乗りだすいきさつは「原発のある風景」の冒頭に載っている。

 山谷や釜ヶ崎のサ、浮浪者や売血者が、無理矢理拉致されて、タコ部屋で監禁されているとかいう話だよ。放射能でばたばたくたばっている者もいるとか……

 その話を耳にしても、すぐには信じられなかったのだと柴野氏は言う。戦前の「女工哀史」や「蟹工船」の世界でもあるまいに、そんなことが現代に存在するとは思えなかったからだ。ところが、関西電力に幹部技師に会った際、「タコ部屋はともかくとしてですね、もし彼らがいなかったら、日本の原発は運転を続けることは不可能でしょう」と言われた。当時の原発は、科学技術の粋を集めた存在だ。クリーンで、近未来と豊かさの象徴だった。そのイメージとかけ離れた“ジプシー”を冠した日雇い労働者の群れ。あまりにそぐわない。彼らは原発から原発へと日本中を渡り歩くのだという。

事故を起こした福島第一原発の遠景=2017年(大熊町のHPから)

◆「ここん飯場にゃ、九州の男ば、200人ほど寄せちょっと」

 柴野氏は俄然興味を惹かれ、ただちに東京電力福島第一原発に向かった。原発ジプシーの存在を確かめ、彼らの実態に迫る。それに成功すればスクープだ、との思いもあった。

 Gパン姿で上野発常磐線特急に乗り込み、「浪江」で降りた。そして労働者が寝泊まりしていた「飯場」に向かう。近寄りがたい雰囲気に尻込みしつつも、酒を飲み、あぐらをかいて花札を囲み、労働者たちと打ち解けていく。熊本弁を話す男たちだった。

 「ここん飯場にゃ、九州の男ば、200人ほど寄せちょっと。敦賀(日本原電・福井県)でん、玄海(九州電・佐賀県)でん、どこでん経験しちょるたい」「放射能? そげんもんば怖がっちょって、炉心ば、入れっか」

 福島第一原発で放射能を浴びながら働く男たちの多くは、もともと炭鉱労働者である。福岡県の筑豊炭田が稼ぎの場だった。エネルギー革命で燃料が石炭から石油に移っていくと、炭鉱は閉山し、男たちは都会に流れた。京浜工業地帯やコンビナート、高速道路・山陽新幹線の建設現場……。土木・建設工事があれば、どこにでも流れていく。そして被曝労働を強いられる原発にたどり着いた。

◆労賃ピンハネ、許容限度超す被曝、健康被害……過酷な下請け労働の実態

 現場取材を重ねると、さまざまなものが見えてきた。労賃のピンハネは常態化。舌がんや胃がん、白血病、脳溢血などで多数の死者も出ている。許容量を超える放射線を浴びると線量計のアラームが警告音を発するが、数値をごまかし、虚偽の記録を日誌に付ける違法行為も横行していた。鼻血を連日流す作業員もいる。いったい、原発の下請け労働で何が起きているのか。しかも、彼らは原発の一番危険な場所に入り、作業する。

 当時「赤旗」の記者だった柴野氏は1979年6月24日の赤旗日曜版に「これが原発ジプシーだ」という特集記事を書いた。原発労働者の劣悪な労働環境、過酷な被曝の実態。それらを初めて本格的に問うた新聞記事ではないかと思われる。同年10月には、下請け労働者として原発で働き、その様子を記録した『原発ジプシー』というノンフィクションの名著も出版された。作者は堀江邦夫氏。以後、日本では時折、「原発ジプシー」という語句が使われていく。

 柴野氏はまた、福島第一原発の取材で、福島県警富岡署の捜査記録も入手した。それによると、原発作業員が絡む事件事故が多発していた。作業中の鉄塔からの転落死、集団暴行、窃盗、婦女暴行、傷害、荷崩れの下敷きでの死亡……。自殺もたびたび起きている。しかし、こうした事実は原発労働者の口で語られるだけだった。何しろ、警察が全く発表していない。福島民友と福島民報という地元紙も全く報道していない。ゼロなのだ。これもまた異常なことだった。

 2011年3月の東日本大震災で福島第一原発は壊滅的な事故を起こし、原発をめぐるさまざまな問題が噴出した。その中でも、下請け作業員が背負わされていた問題は、かつての柴野氏の取材によって、大半は指摘済みだったと言ってよい。福島原発の事故は、柴野レポートからおよそ30年後のことだ。

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高田昌幸
 

ジャーナリスト、東京都市大学メディア情報学部教授(調査報道論)。

1960年生まれ。北海道新聞、高知新聞で記者を通算30年。北海道新聞時代の2004年、北海道警察の裏金問題取材で取材班代表として新聞協会賞、菊池寛賞、日本ジャーナリスト会議大賞などを受賞。

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