福島原発事故の30年前に暴かれていた原発下請け労働の実態 「原発のある風景」が伝えたもの

  1. 調査報道アーカイブズ

◆このルポが広く伝わっていたら……?

 「原発のある風景」は柴野氏のルポ取材の記録であり、どのような取材手法を取っていたのか、そのプロセスがよく分かる。飛び込み取材を繰り返し、人脈をつなぐ。その連続で、柴野氏は日本の現実を底辺から記した。さらに柴野氏らの赤旗取材班は1981年、福井県敦賀市の日本原電敦賀原発1号機の放射性廃液漏れ事故もスクープした。

日本原電の敦賀第1発電所(同社HPから)

 

 「原発のある風景」を抜粋して再録した「明日なき原発」の中で、柴野氏はこう書いている。

 ぼくは新聞記者として1974年から10年余り、日本各地の原発内部とその地域、そこに生きる人たちと対話し、真剣に向き合ってきた。原発が立地された「地方」「地域」は、反映する大都市と裏腹に、呆れるほどに荒廃していた。故郷の山河も森も畑も海も、産業も地方自治も教育も、暮らしや人心までもが例外なく歪み、荒れすさんでいた。「原発立地」が持ち込まれた瞬間から、それまで貧しいけれどもつつましく、自然も心も豊かな生産活動で平穏な暮らしをしていた村々を突如、天地の価値観をも狂わせるような「国策」が襲ってきたのだ。

 しかし、原発が輝かしき未来の象徴だった時代に書かれた「原発のある風景」は、残念ながら大多数の日本人が真剣に原発問題を考えるきっかけにはならなかったようだ。

 もし、こうした内容を新聞・テレビのマスコミが広く伝えていたら、原発依存の社会は少しは変容していただろうか。「原発のある風景」に盛り込まれたような取材記録が広く社会に伝わっていたら、その事故は未然に防げただろうか。

■参考URL
単行本「明日なき原発 原発のある風景・増補新版」(柴野徹夫)
単行本「原発ジプシー・増補改訂版 被曝下請け労働者の記録」(堀江邦夫)

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高田昌幸
 

ジャーナリスト、東京都市大学メディア情報学部教授(調査報道論)。

1960年生まれ。北海道新聞、高知新聞で記者を通算30年。北海道新聞時代の2004年、北海道警察の裏金問題取材で取材班代表として新聞協会賞、菊池寛賞、日本ジャーナリスト会議大賞などを受賞。

 
 
   
 

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