西日本新聞(1992年〜)
[ 調査報道アーカイブス No.55 ]
◆事件報道は警察の言い分しか聞いていない
「当事者の言い分をしっかり聞いて、しっかり伝える」は、取材・報道のイロハのイである。当事者に取材していない報道は、「一方的だ」「偏っている」と強く批判されるだろう。
ところが、この大原則を実行せず、「一方の言い分」だけで成り立っているのが事件報道だ。
事件報道は通常、警察側の情報によって成り立っている。逮捕された容疑者は、取調室でどんなことを話しているのか? それがストレートに表に出ることはない。日本の刑事司法制度の下では、取材者は直接、身柄拘束中の容疑者に接触できないからだ。「私は犯人じゃない。身に覚えはない」と否認しているのか、「私がやりました」と認めているのか、それすらも警察を通じた間接情報でしか、知ることはできない。そして、いつの間にか、警察を通じての容疑者の言い分すら載っていない報道も珍しくなくなった。
取り調べ室で、容疑者は何を話しているのか。なぜ、容疑者の言い分を伝えることができないのか。密室での聴取は適正に行われているのかー。
そうした事実に迫ろうという報道が1990年代前半、福岡で行われていた。西日本新聞の「福岡の実験 容疑者の言い分報道」である。それまでは表に出てこなかった容疑者の言い分を取材して報道するのだから、一連の試みは調査報道の一種と評してよい。
◆警察情報だけに頼る報道を脱する、と「社告」で宣言
一連の報道は、当番弁護士制度と連携する形だった。1992年12月16日朝刊1面の西日本新聞「社告」は、次のようにうたっている。
[社告]福岡の実験、事件報道で「容疑者の言い分」も掲載
西日本新聞社は、福岡県弁護士会の司法改革に連動して、当番弁護士などから得た「容疑者の言い分」を一定の基準に基づき掲載します。否認事件が中心ですが、容疑を認めていても、動機や背景に社会性があると判断した場合には記事化します。事件取材では、容疑者が逮捕された時点で接触が不可能となるため、結果として警察情報だけに頼る一方的な報道という批判を受けてきました。今回の試みはこうした点を踏まえ、容疑者の人権に配慮するとともに、より客観的な報道に徹しようというものです。むろん、身柄を拘束された容疑者に記者が直接あたることはできず、接見した弁護士から取材します。このため、当面は当番弁護士制度が充実した福岡県下が対象ですが、他地域でも条件が整い次第、掲載範囲を広げていく方針です。
そして、事件原稿の形が変わった。 日本で初めて、容疑者の言い分を載せる報道がスタートしたのである。
「言い分」を載せた原稿は末尾に「福岡の実験」という但し書きが付いた。例えば、次のようなスタイルである(実名のほか一部表記はイニシャルなどに変えてある)。
福岡県警に8日、出入国管理及び難民認定法違反の疑いで逮捕されたペルー人男性4人のうち1人は、同日夜接見した弁護士に「日本までの航空料金を友人から借金している。(ペルーで)仕送りを頼りにしている家族のためにも、帰国できなかった」などと話している。また別の1人は「父は日本人だが、早くして亡くなったので、自分はよく知らない」と言っている。弁護士によると、逮捕された四人は「何で逮捕までされなければいけないのか」などと話し、いずれも動揺した様子だったという。
●福岡の実験
福岡県弁護士会の司法改革と連動、当番弁護士などから取材した「容疑者の言い分」を一定の基準に基づき掲載しています。
親類に貸した車の物損事故の示談交渉に絡み、右翼を装って損害保険会社から現金を脅し取ろうとしたとして、福岡県警に恐喝未遂容疑で逮捕、送検された●●市内の無職B容疑者(70)は30日までに、面会した弁護士に対し「自分名義の車なのに、損保会社が十分な説明をせずに処理したので示談の説明を求めただけ。現金を要求したわけではない」と容疑を否認している。
●福岡の実験
福岡県弁護士会の司法改革と連動、当番弁護士などから取材した「容疑者の言い分」を一定の基準に基づき掲載しています。
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