◆「裁判になるような記事は書くな」と上層部 それでいいのか?
この報道については、記事掲載から20日ほど後、中曽根氏自身が朝日新聞社を相手に「名誉を毀損された」として、全国紙などに謝罪広告の掲載を求める訴訟を起こした。中曽根氏は「記事は、国際航業株の相対取引による1億2000万円の差益が、取引当事者の太田英子でなく、自分に帰属したとの心証を与えるが、自分や自分の政治団体が受け取った事実はない。名誉を著しく傷つけられた。予想される衆院選への選挙妨害の意図は明らかだ」と主張していた。裁判は朝日新聞社側が勝訴。その後、中曽根氏が控訴した二審・東京高裁では、中曽根氏側が何ら請求しないことなどを条件とする和解が成立した。
「中曽根元首相側近名義で株取引 1億2千万円の差益」の記事をめぐっては、裁判のほかに、朝日新聞社内での“抵抗”もあったという。筆者(高田)は生前の山本氏と何度も会い、調査報道に関するプロセスを直接伺い、記録に留めた。その中で、山本氏はこう言っている。
裁判が終わったあと、(上層部に)「こういう記事は書くべきではない」と言われました。裁判を起こさせるような記事は書くな、という意味です。しかし、あの記事に事実関係の間違いは一つもなかった。その点は判決も認めている。だから、中曽根氏の訴えは棄却されたのです。それなのに、あんな記事は書くべきではない、と。要するに、面倒がいやだったわけです。私は「そんなことを言っていたら、調査報道なんてできません」と反論しましたが。
山本氏によると、1990年代の半ばごろから、そうした空気は一気に強まった。それは朝日新聞に限ったことはでない、とも強調した。その傾向はいま、ますます拡大し、今や動かし難いものとなって、組織ジャーナリズムを覆っているように思える。
山本氏はまた、「記者という商売は、個々の人間の力量の積み重ね。何かを誰かに教えるということではありません。取材方法とか、調べ方とか、テクニカルなことは、簡単なこと。別にどうというものではない」と何度も語っていた。調査報道を遂行するには、取材のノウハウや技術以上に大事なものがある、ということだ。それは何か。山本氏の回答は、また別の機会に紹介しようと思う。
■参考
『朝日新聞の「調査報道」』(山本博著)
『追及・体験的調査報道』(山本博著)
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