路上生活者を集めて施設側が虐待・暴行 死者70人以上/戦後混乱期の「岡田更生館」事件を暴いた潜入取材

  1. 調査報道アーカイブズ

◆「飲み込むんだぞ。食わねば死ぬだけだ」「絶対逃げるな。逃げたら殺されるぞ」

 朝鮮半島からの引き揚げ者に偽装した大森記者は、岡田更生館の近くで農家からこんな話を聞かされた。「毎日1人は死者が出る。朝4時ごろ、この道を戸板に死体を積んだ行列が通りまするのじゃ。山の上で焼くんじゃ」。北川冬一郎から聞いた話は、いよいよ間違いないようだ。問題は、どうやって潜入するかにあった。首尾よく潜入できたとして、脱出方法も大問題だった。取材の意図を見破られたら、それこそ殴り殺されるかもしれない。

 2人の記者は浮浪者を装い、倉敷駅構内で横になった。2人は警察署に連れて行かれ、取り調べを受けた。小西記者は強盗ではないかと疑われ、かなり厳しく調べられていく。そこに岡田更生館の職員が2人の身柄を引き受けに来た。そうやって2人は施設に収容されたのである。居場所は「第3作業場」というタコ部屋だった。夕方、アルミの椀が配られ、バケツから雑炊が注がれた。

 その様子を大森記者は『エンピツ一本』にこう書いている。

 (雑炊は)吐き気をもよおす悪臭だった。隣に並んだ収容者は「飲み込むんだぞ。食わねば死ぬだけで、第1、第2作業場送りだ。目をつむって飲め」といった。午後8時になると、指導員が全員の作業着を取り上げてパンツ1枚の裸にした。

 被収容者には毛布1枚だけが与えられる。やがて、あちこちで一斉にガリガリという音がした。男たちは全員が皮膚病(疥癬)にやられている。かゆくて、全身をかいているのだ。隣の坂本修と名乗る男は、低い声でこう言う。「かゆいんだよ。おまえも今にこうなるが絶対に逃げるな。逃げたら殺されるぞ」。坂本は駅でごろ寝していたとき、三食付きで仕事を教えるという言葉に釣られてここに来た。ある夜、脱走を図ったところ、指導員に捕まり、棍棒で肋骨を折られて血を吐いたという。

 大森記者は夜、小便に行くふりをして「第2作業場」へ行く。そこにはやせ細って肋骨が浮き上がった男たちがいた。その数、200人ほど。ほとんど裸で、4重に折り重なっている。臨終間際の人の群れに見えた。その翌朝、「もう1週間はいたい」という小西記者を制して、大森記者は脱走を決行。ところが、職員らにつかまってしまう。それでも大森記者は羽交い締めにされながら、館長に向かってこう啖呵を切ったという。

 「よく聞け! われらは毎日新聞大阪社会部の事件記者だ!」

 館長は「たわごとを抜かすな。このまえも偽記者をかたったやつがいた。おーい、みんな、この2人を道場へ連れていってしごいてやれ!」と切り返したが、やがて、毎日新聞の現地支局から応援が駆けつけ、記者2人はその場を離れることに成功した。

◆知事が虐待を否定 満を持して「潜入取材」を掲載

 1949年2月18日、毎日新聞の朝刊は「また問題化した社会施設」「相次ぐ収容者の死」「疑惑の岡田更生館(岡山県営)にメス」という見出しの記事を掲げた。施設内で組織的な暴行や虐待、殺人が行われているのではないかという内容だ。ただし、この段階では潜入に基づく内容は出ていない。「悪い給食・振う暴力 近隣の人の語る同館の内情」という記事もあるが、潜入ルポはどこにもない。これは、社会部長の仕掛けだったと大森氏は明かしている。

「岡田更生館」事件を伝える毎日新聞

 

 案の定、岡山県知事は会見で「事実無根の中傷記事には納得できない」と毎日新聞を批判し、朝日新聞も「逃亡者の訴えで警察が調べに入ったが不正な事実は何もなかった」という記事を掲載した。そうした反応を見計らって、毎日新聞は翌2月19日、大森記者らの潜入ルポを写真入りで掲載。「本紙記者二名、館内潜入」の大見出しが踊った。また、岡山版にも「岡田更生館を探る 本社記者潜行体験記」が掲載されている。

 この問題は最終的に国会で政府が対応を問われる事態になった。犠牲者は少なくとも70人以上に達したという。また2020年9月にはフジテレビの「奇跡体験!アンビリバボー」がこの取材を取り上げ、一躍、全国に知られた。

 潜入を敢行した大森記者は当時27歳。その後は国際舞台で活躍する記者となっていく。とくに米国の外交・軍事問題でスクープを連発し、国際的な調査報道記者として知られた。外信部長を経て退社。「東京オブザーバー」を発刊するなど、新聞社を離れても取材の現場は離れなかった。

■参考URL
単行本『エンピツ一本(上)』(大森実著)
単行本『ユニクロ潜入一年』(横田増生著)

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高田昌幸
 

ジャーナリスト、東京都市大学メディア情報学部教授(調査報道論)。

1960年生まれ。北海道新聞、高知新聞で記者を通算30年。北海道新聞時代の2004年、北海道警察の裏金問題取材で取材班代表として新聞協会賞、菊池寛賞、日本ジャーナリスト会議大賞などを受賞。

 
 
   
 

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