四半世紀前「児童虐待は犯罪」と言い切った連載『殺さないで』

  1. 調査報道アーカイブズ

◆ベタ記事の奥に隠れていた児童虐待の真実

 取材班は連載に先立ち、1997年1月以降の1年10カ月間に起きた虐待事件を洗い出す。すると、全国で56人もの乳幼児・子どもが虐待で死亡していたことがわかった。ベタ記事の奥に隠れている一つ一つの事実こそを丹念に取材し、読者に示し、家庭の問題を社会化する必要があるのではないか。記者たちはそう考えた。第1部は6回。短めのシリーズだったが、手紙やファクスで届く反響は大きかった。「生まれて初めて新聞を読んで怒りを感じ、ショックを受けた」「かわいそうでもう読むのをやめようと思った」といった声が止まない。第1部の連載だけで、そうした声は200通を超えたという。

 その声に後押しされるように連載は長く続くことになった。児童虐待防止法が国会で成立したのは、そうしたさなかの2000年5月である。

毎日新聞の連載紙面

 

 取材班の一員だった野沢和弘氏は連載から時を経た2014年、国家公務員向けの人権研修会でこう語っている。取材当時を振り返る内容だ。

 私が最初に取材に向かったのは、3歳の男の子が三日三晩、実の母親を含む3人の大人からし烈な暴力を受けて亡くなったという非常に痛ましい事件でした。男の子はお母さんに向かって「もうお母さんこの家出て行こうよ」って、ひとこと言い残して息絶えたんです。警察が報道に発表する時は三日三晩のうちのごく一部、象徴的なところだけを発表します。それが新聞記事になる時には、またその中から一部が記事になるので全体像が分からないんです。

 裁判所に取材に行って、公判で検察官が三日三晩に起きた事を冒頭陳述で読み上げるのを,私は記者席でメモをずっと取っていました。メモを取りながら胃がよじれて口の中から飛び出してきそうな感覚を覚えました。そのぐらい凄まじい出来事だったんです。ふと見ると、3人いる裁判官席の一番左の女性の判事の方がもう泣いて泣いて、なかなか裁判を続けられないような、そんな状況だったんです。このぐらい凄まじいことだったのかと衝撃を受けました。われわれがこれまで社会問題として見てこなかったところに、実は深刻なことが起きているのではないかと。

 野沢氏をはじめとする記者たちは、警察発表やベタ記事の奥に隠れた事実を求めて、地方裁判所を訪ね歩いた。その法廷で展開された児童虐待の姿。それらを“家庭の枠”から取り出し、社会全体の問題にしていく作業は当時としては画期的であり、優れた調査報道だった。

 あれから四半世紀。今も止まない虐待の数々は果たして、当時とどこがどう違っていたのだろうか。児童虐待防止法など法の仕組みもできた。報道も増え、人々の認識も大きく変わった。現在では、虐待や事故などによる子どもの死を未然に防ごうと、厚生労働省が主導して「チャイルド・デス・レビュー」を導入しようという動きも始まっている。それほど時代は変わった。しかし、もしかしたら、虐待そのものは何も変わっていないか、あるいは、さらにひどくなっているかもしれない。

政府広報から

 

■参考URL
単行本『殺さないで 児童虐待という犯罪』(毎日新聞・児童虐待取材班著)
SlowNews 連載『チャイルド・デス・レビュー 救えたはずの小さな命』(フロントラインプレス取材班)
「児童虐待防止策」(厚生労働省)

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高田昌幸
 

ジャーナリスト、東京都市大学メディア情報学部教授(調査報道論)。

1960年生まれ。北海道新聞、高知新聞で記者を通算30年。北海道新聞時代の2004年、北海道警察の裏金問題取材で取材班代表として新聞協会賞、菊池寛賞、日本ジャーナリスト会議大賞などを受賞。

 
 
   
 

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