真実を明らかにする責任は誰にあるか 森友文書改ざんスクープとその後

  1. 調査報道アーカイブズ

◆真実を明かす責任は誰に?

 森友学園問題のその後は広く知られた通りである。書き換えを強いられたのは、近畿財務局の職員だった赤木俊夫氏。正義感の強かった赤木氏は最終的に自ら死を選んでしまった。妻の雅子さんは経緯を示した「赤木ファイル」の開示を繰り返し求めたり、損害賠償を求めて国を提訴したりした。いずれも、何が起きたかの真相を明らかにするためだ。しかし、その訴訟は今年12月15日、国が一方的に賠償を認める「認諾」の手続きを行い、突然終結した。

2018年3月9日の朝日新聞朝刊1面。公文書改ざんの続報記事が載った

 羽根氏は『新聞研究』で次のようにも書いている。森本文書をめぐっては、誰がどう改ざんを指示したのかといった経緯の詳細が明らかにならなかったことから、その責を朝日新聞に求める声も出た。情報源を示さない限り、報道は最終的に信頼できないという極論もあった。羽根氏の文章はその点にも触れている。

 改ざんの初報の後、驚きを覚えたことが一つある。それは「朝日新聞に挙証責任がある」という主張が少なからずあったことだ。大げさかもしれないが、「日本にはジャーナリズムが必要ない」と言われているようにすら思えた。
 権力の不正を報じるとき、情報源の秘匿が必要なことは珍しくない。「我々はこんな資料を得ているんです。見てください」「こんな証言も録音しています」などと証拠を公にしなければならないのなら、ジャーナリズムは成り立たない。権力は、ほんの小さな手がかりからネタ元を探す力を持っているからだ。

 2022年の3月がくれば、朝日新聞による調査報道スクープから4年になる。森友文書が改ざんされたこと自体はわかったが、依然、詳細は不明のままだ。改ざん指示のルートはどうだったのか、当時の麻生太郎財務相は関わっていたのか、安倍氏自身の関与の有無はどうか。真相は明らかになっていないのだ。その責任が誰にあるのかは、言うまでもない。

■参考URL
単行本『権力の「背信」 「森友・加計学園問題」スクープの現場』(朝日新聞取材班)
単行本『私は真実が知りたい 夫が遺書で告発「森友」改ざんはなぜ?』(赤木雅子・相澤冬樹著)
『森友問題」を追う 記者たちが探った真実』(朝日新聞デジタル)

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高田昌幸
 

ジャーナリスト、東京都市大学メディア情報学部教授(調査報道論)。

1960年生まれ。北海道新聞、高知新聞で記者を通算30年。北海道新聞時代の2004年、北海道警察の裏金問題取材で取材班代表として新聞協会賞、菊池寛賞、日本ジャーナリスト会議大賞などを受賞。

 
 
   
 

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