「クラウディアからの手紙」はこうして制作された 戦争を超え、日ソの国境も越えた愛の物語

  1. 調査報道アーカイブズ

◆スパイ容疑は濡れ衣だった 80歳になっての“無実”

 日本海テレビの取材陣はその後、蜂谷さんの境遇をじっくり取材し、ロシアへも取材の足を伸ばす。夫妻とクラウディアさんの人生とは、いったい何だったのか。戦争、社会主義国・ソ連とは? そうした疑問を解き明かすためにも、どうしてもロシアでの取材が必要だった。そして、上に紹介したクラウディアさんのインタビューを収録する。映像の中で、このロシア人女性は次のように語っている。

 私はそれぞれが1人だと考えていました。彼は、家族はもう生きていないと思っていたのです。
 だけど、彼には妻や娘が日本で生きていることがわかったのです。
 それなのに彼を返さないで引き止めることなんて、できません。私はこの別離を絶対に後悔はしていません。人の不幸の上に自分の幸せを築き揚げることはできません。心を込めて、あなたたちの幸せを祈ります。

 取材陣はロシアで、蜂谷さんが連行された経緯も調べた。すると、当時のスパイ容疑は濡れ衣だったことが判明する。優れたドキュメンタリー番組の取材は、調査報道そのもの。それを地で行く展開だ。番組スタッフは、ロシア当局から蜂谷さんの「復権証」を託された。日本で名誉回復を知らされた蜂谷さんはこう言う。

 俺の人生を返してくれ……でもスパイでなかったから、これで死にきれる。それにしても80歳になってから、『おまえ無実』とは…。

◆「プログレス村のひまわり」が伝えるもの

 ロシアと日本。海をまたいでしまった蜂谷さんとクラウディアさんは毎週のように手紙を交わした。そうした中、半世紀ぶりに抱き合った妻・久子さんは再会から10年後の2007年に他界した。一方、クラウディアさんは2014年9月、クラウディア村で94歳の生涯を閉じた。孤児として生まれ育ち、収容所生活も経験した彼女は最晩年にまた1人だった。2人の死を見届けるかのように、蜂谷さんも2015年6月に世を去った。

 番組プロデューサーの古川氏は書いている。

 私たちがこの作品に込めた思いは、個々の幸せが戦争によって容赦なく打ち砕かれた3人の別離と再会の姿を通じて、戦争がもたらす残酷さ、平和の尊さを静かに訴えることだった。そして、どんな困難な境遇にあっても懸命に生き抜き、決して失わなかった「無限の愛」を知ってもらいたかった。
 プログレス村のクラウディアさんの庭には毎年ひまわりが大輪の花を咲かせているという。それはクラウディアさんと弥三郎さんが丹精を込めて育てた思い出の花だった、

 『クラウディアからの手紙』はNNNドキュメントという日曜日深夜の放送枠だったにもかかわらず、関西地区で8.7%、関東地区で6.9%という高い視聴率を記録した。同枠としては1998年の年間最高の数字だった。また、ギャラクシー賞優秀賞、日本民間法連盟賞優秀賞、地方の時代映像祭大賞など数多くの賞を受賞した。

イメージ

 

■参考
『NNNドキュメント’98 クラウディアからの手紙』(放送ライブラリー)
単行本『クラウディア 最後の手紙』(蜂谷弥三郎)
単行本『望郷 二つの国 二つの愛に生きて』(蜂谷弥三郎)

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高田昌幸
 

ジャーナリスト、東京都市大学メディア情報学部教授(調査報道論)。

1960年生まれ。北海道新聞、高知新聞で記者を通算30年。北海道新聞時代の2004年、北海道警察の裏金問題取材で取材班代表として新聞協会賞、菊池寛賞、日本ジャーナリスト会議大賞などを受賞。

 
 
   
 

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