自民党の政務活動費で広報業務「千葉日報社だけの問題か?」 青学大・大石泰彦教授(メディア法)インタビュー

  1. オリジナル記事

◆「報道機関が権力側の一員という事例はほかにもある」

 ――今回の千葉日報社と自民党会派の問題は、特殊な事例でしょうか。

 大石 日本の新聞、メディア業界にとって千葉日報の問題は他人事ではないだろうという気がします。読者が、客観的であって、非当事者の立場であると期待しているメディアが権力と癒着して、非当事者ではなくて、権力側の一員になってしまっているというような実態を表す事例は、今回の件だけでなく、過去に少なからずあるからです。全国の新聞はどこも「ジャーナリズム」という看板は下ろしていないし、社にも記者にも一種のプライドのようなものがあるでしょう。そのプライドは本来「在野」のプライドであるべきなのですが、記者クラブを中心とする日本のメディアシステムの中では、「権力のお近づき」、つまり特権的な位置にあることがそのプライドの拠り所になっている面がある。

 例えば、2008年夏、大分合同新聞の事業部長が自分の娘の教員採用試験について大分市教委の幹部に口利きし、それで点数を水増しして合格して5000円相当の贈り物をしたという事件が明らかになりました。また、富山市議会議員の政務活動費の不正問題を暴いたチューリップテレビ(富山市)では、不正問題を中心になって追及していたった2人のうちの1人はもう、社にはいられないということになって辞めているわけですね。もう1人は社に残っているようですが、記者とは違う部署に回された。立派な仕事をした局ですが、それでも、組織として今後、市議会と折り合いを保って取材を続けていくためには、2人をそのまま置いておくわけにはいかないということなのでしょうか。

 全国メディアにも、もちろんこうした事例は枚挙にいとまがないわけですが、地方メディアは地方メディアで、またそれらとは微妙に異なった「ムラ社会的」な癒着構造があるようにも思います。今回の千葉日報の問題はそういう土壌で発生した問題ですが、その土壌に新聞の経営的困難が重なって、「一番やってはいけないことをやってしまった…」「ついにここまで来たか」と正直、思います。

千葉日報社の本社

◆「本音と建前の使い分けは危険。メディアはそれに気付いていない」

 大石 会社の存亡は社員の生活に直結する問題ですから、きれいごとは言っていられない、恥も外聞も捨ててまずは自己保存ということになるわけで、私も生活者の一人としてその「重み」が全然理解できないわけではありません。しかし、実態としてはジャーナリズムとは言えないのにジャーナリズムを僭称しているということになれば、その矛盾のツケは国民が払うことになります。メディアは国民や県民にツケ回しをすることはしない、というのを最後のプライドとして守ってほしいと思います。

 しかしこんなことを言っても、もしかすると日本のメディア人には冷笑されるだけなのかもしれませんね。いま、メディアの状況を見ていると、建前と本音の使い分けが危険なこと、それが自分で自分の手足を食べるようなことだという意識が極めて弱いと思います。だから、今後よく調べたら同種の事例がいくつも見つかるというような事態もあり得ないことではないし、実際、今回のフロントラインプレスの報道を受けていま、全国のメディアは「後追い取材」ではなくて「社内調査」をしているのではないでしょうか。

 ――新聞協会については?

 今回のことで新聞協会は毅然とした対応をしなければ、もはや業界を挙げてジャーナリズムの看板を下ろすのですか、ということになります。もしかすると千葉日報の

 特殊事例ということで片づけてしまうのかもしれませんが、構造の問題に迫れないのであれば「メディア倫理」の維持向上を一つの任務とする全国組織とは到底いえないと思います。しかし最近も、いわゆる「賭けマージャン」問題があったり、首相の補佐官に通信社の元論説委員長が就任したり、読売新聞が大阪府と「包括連携協定」なるものを結んだり、いろいろと検証すべき事例はあるのに、どうもそういうことを重大視している様子もない。協会は「業界の既得権擁護」には熱心だけど、「ジャーナリズム」自体には鈍感な組織になってしまっているように見えます。

日本新聞協会が入る日本プレスセンタービル=東京・内幸町(日本プレスセンターの公式HPから)

1

2

3
本間誠也
 

ジャーナリスト、フリー記者。

新潟県生まれ。北海道新聞記者を経て、フリー記者に。

...
 
 
   
 

関連記事