同じ講演に登壇したKGWテレビ(オレゴン州ポートランド)の調査報道担当、カイル·イボシ記者は「SNSを使って、広く地域の人たちから力を借りるべきです」と話した。
「『コロナ禍で情報源を見つけるのに最適なツールはSNS。私自身、ツイッターやフェイスブックに『この問題で困っている当事者を探しています』などと投稿して情報を集めています」
こうした方法は、日本のメディアでは長い間、「やってはいけないこと」「御法度」とされてきた。なぜだろう? それは「記者の基本は足で稼ぐこと」という基本的な考えがあるからだ。“足”こそ重要なのだ。したがって、SNSを使って情報を集めたり、情報源を見つけたりすることは、“楽”なこととされてきた。私自身も含めて抵抗がある。
しかしコロナ禍によって、米国では新定番の取材手法となったようだ。
イボシ記者は言う。
「この国際会議も含めて、米国内のイベントはほぼ全てがオンラインに切り替わっています。自分のマーケット(専門分野)の外に目を向けるチャンスではないでしょうか。会議は情報源の宝庫。講師を見れば、その分野の最前線にいる人たちが誰なのかを理解できるし、登壇者リストを保存しておけば今後の取材にも役に立ちます。今こそ、国内だけではなく、世界中のオンライン会議やイベントに参加すべきです」
記者たちの口から諦めの言葉は出ない。出てくるのは「可能性」という前向きな言葉ばかりである。
◆日本メディアにはない「調査報道専門記者」という肩書き
調査報道国際会議の参加者たちの顔ぶれを見ていると、ある共通点に気がついた。肩書きに「Investigative Reporter(調査報道専門記者)」と記載している人ばかりなのだ。
釈迦に説法だが、そもそも調査報道とは、日本人の多くが日常的に触れている「報道」とは一線を画している。例えば、日本の一般的な報道では、行政や企業などの組織が発表した情報について、「●●によると」と情報源を記載した上で記事データが示されている。「国土交通省によると、2020年上半期の外国人観光客は~」とか、「東京電力によると、この地震で福島第一原発への影響はないということです」とか、そういった記述である。ところが、そのデータの信憑性、つまり発表された中身の真偽や妥当性についてはほとんど触れることがない。
一方、調査報道はデータそのものの信憑性を問う。
記者が独自に統計を取ったり、データを取り直したりしながら、公式発表との差異をあぶり出す。調査報道とは、言い換えれば探究型ジャーナリズムとも言える。この会議に参加する記者たちが「調査報道専門記者」という肩書きを当たり前のように使っているのは、調査報道とは何か、一般的な報道とは何が違うのかという基本的な事柄が、メディアはもちろん社会一般に認識されているという証拠でもある。
これは「政治部」「経済部」「社会部」など取材分野ごとに縦割りで記者の属性を分類する日本の報道機関にはない文化だ。