◆米国から小麦輸入の圧力 従った日本はコメ減反へ
大潟村でのコメ作りが始まった直後に、なぜ減反が始まったのか。理由は米国からの圧力だった。米国では小麦が大量に余り、その引き取り手として日本に目を付ける。その輸入によってコメがだぶつくため、減反を強いたのである。米国からの大量の小麦輸入によって、学校給食はパンに変わり、国民の間にパン食が急速に浸透していく。
入植農家の中には、減反に絶対従わない者もいた。富山県職員から農家に転じた長瀬毅さん、男澤泰勝さんの2人もそうだった。大潟村の農家たちは、国との約束によって全ての財産を売り払って、つまり新天地でのコメ作りを途中で投げ出すことができないような縛りを受け、この地にやってきた。それなのに、コメ作りが始まった途端、コメを作るなと言う。「警告します!違法な耕作をやめて退去しなさい」という国のアナウンスが流れる中、コメ作りを続ける2人。その中で長瀬さんは「(政府の政策によって)コメが余った責任をなぜ農民が背負うのか」と悔しそうに語る。
最終的に2人は「国の方針に逆らってコメを作り続けた」などとして、国からそれぞれ1億円の損害賠償を求められた。そんな金額を払えるわけがない。2人は住宅や農機具などの差し押さえ処分を受け、村を出た。その行方はわかっていない。
番組制作の時点で、大潟村では60戸以上が離農した。借金を払えず自殺した人も少なくない。しかもこの間、日本はコメの輸入自由化、環太平洋パートナーシップ協定=TPPの締結へと突き進む。国の方針を途中で受け入れ、大潟村で踏ん張る坂本さんは、番組の終盤でこう言う。「(日本にとって)農業が本当に必要か、必要でないのか、その段階はもう超えたけど、もう1回、国に考えてほしい」。民主党政権に代わった後、大潟村にやってきた外務大臣に向かって坂本さんは直筆の手紙を渡そうとした。減反してもコメは余っているのに、なぜ輸入を拡大し続けるのか。輸入しないという約束を反故にした理由は何か。そうした農政への疑問をしたため、もうこれ以上、輸入を増やさないでほしいと訴えるつもりだった。だが、演説の場所で坂本さんは、警備の警察官に取り囲まれてしまい、念願を果たせなかった。
◆過去の撮影記録 その「素材の熱」が番組を作らせた
この番組はギャラクシー賞大賞、日本民間放送連盟賞優秀賞などを獲得した。プロデューサーを務めた秋田放送の石黒修氏は『民報くらぶ』2011年9月号で、制作に至るきっかけをこう書いている。
(局内の)資料室で初めて見たのが、国の役人が農民に減反を迫るシーンだった。キャプションをみると今から30年前の映像。見始めて1分で釘付けとなった。やりとりに圧倒された。「米を作るために全てをなげうってこの村に来たのに、なぜ減反しなければならないのか」、役人に食ってかかる農民。対する役人は「まわりがみんな守っているのだから…」の一点張り。農民の主張が理にかなっているのは明らかだった。
なにやらおかしなことが、当時の日本で起きている。その後見た映像も、私の知らない強烈な村の真実ばかりだった。減反に従ったものの、畑作に失敗して多額の借金を背負い、自ら命を絶った村人たち。そして残された遺族にさらなる減反を迫る国の担当者。国の定めた基準をわずかに上回っただけで、青いまま稲を踏みつぶされ、村を追われた農民もいた。
遠い昔の話ではない。1970年以降の日本で実際に起きていた出来事だ。
ドキュメンタリー番組を作るうえで、重要なことの一つが『素材の温度』であると思う。特にテーマが大きければ大きいほど、取材する側にモノを伝える熱がないといけない。資料室で私が出会った過去の映像は、どれも熱かった。
1点にとどまっていると全体を見失うことがある。逆に、1点を見続けるからこそ、見えてくる全体像もある。放送局の先輩から後輩へ、そのまた後輩へと引き継がれてきた過去の録画は、後者の、1点を見続けることの重要さを教えてくれている。
■関連URL
『「Anatomy of a killing」デジタル技術で権力に迫る』(調査報道アーカイブス No.11)
『「ネアンデルタール人は核の夢を見るか」 地方局の秀作』(調査報道アーカイブス No.13)
『わずか2分の動画が伝える内戦の結末 「People of Nowhere」』(調査報道アーカイブス No.33)
【編集注釈】原文に2カ所あった「埋め立て」の文字を削除し、別の用語に置き換えました。外部からご指摘をいただきました。(2021年1月10日 12:53)
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