収容施設のアクリル板越しに外国人が「顔出し・名前出し」で問うもの

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◆当事者や支援者には複雑な思いも

 ただ、被写体となった外国人たちの立場を案じる声や、隠し撮りという手法へ疑問の声は残っている。被収容者や仮放免者の支援活動を続けてきた人たちも、全員がもろ手を挙げて映画に賛同しているわけではない。出演者への意思確認などを巡って、制作側を批判し続ける人もいる。

 筆者がインタビューでこの点に触れると、アッシュ監督は「話したくない。当事者の声に絞りたい」と口にした。

 「要はやり方、役目役割が違うだけなのよ。みんなで一緒に力を合わせて。敵は入管だから。仲間割れをすると、入管、勝つんだよ、それでいいの?」

アッシュ監督(撮影:益田美樹)

 

 この作品のパンフレットには、研究者や活動家ら総勢30人近くがコメントを寄せているが、入管問題をすでに知る人は首をかしげたかもしれない。ここに含まれていそうな人が含まれていないからだ。例えば、映画の舞台となった牛久で、初期から被収容者の支援にあたっている「牛久入管収容所問題を考える会(牛久の会)」の代表・田中喜美子さん(69)のコメントもない。

 田中さんは、1週間で唯一自身の仕事が休みになる水曜日になると、牛久に欠かさず通ってきた。もう27年。彼らを励まし、差し入れし、悩みに耳を傾け、必要に応じて入管側に申し入れもする。収容所内の問題を外に伝える窓口となっている「牛久の会」の活動は、被収容者にとって生命線だ。長年の活動で築かれてきた、当事者や支援者のネットワーク。そこから聞こえてくる複雑な事情や思いを考慮してか、映画について多くを語らない。ただ、茨城県内のレイトショーで鑑賞した後、彼女はこう言った。

「これは入管の大失態、大失態の映画だね。制圧の映像も、隠し撮りされたのも」

◆被収容者のつぶやき

 牛久に今現在、収容されている人たちにも『牛久』劇場公開のニュースは、耳に入っている。

 被収容者の1人は、筆者に電話をかけてきて「すごいですね。トーマスさん、テレビにも出てました」と興奮気味に語った。この被収容者は、収容所では人権が守られていないと再三訴えてきた。映画の公開で、日本の人たちに実態が伝わればいいと期待する。ただ、筆者が面会に行った時、寂しそうな表情も見せた。『牛久』に登場する外国人は、自分と違って難民性の高い人たちだと気にしていた。

 「難民の人は、(日本の人にも自らの境遇を)言いやすいですよね…」

 この映画によって、日本社会が難民申請者へのシンパシーを高めることになれば、問題解決の糸口になるだろう。しかし、彼が言うように、被収容者はそんな人たちばかりではない。日本で劣悪な環境に置かれ、図らずも法に抵触してしまった人たちもいる。支援者の1人は次のように語る。

 「日本人なら刑期が終われば、外に出ることもできる。彼ら(罪を犯した外国人)はその後も収容を解かれることはない。それをどれだけの日本人が知っているんでしょうか。なぜ、彼らが日本に来て、そしてなぜ罪を犯してしまったのか。そのことを単に自己責任として片付けてしまってよいのか。やり直しのきかない社会を作っているのは誰なのか」

 服役後、一歩も「外」に出られないまま入管に収容される。強制送還を拒否すれば、今度はいつ終わるとも知れない拘禁が待っている。1年、2年、3年…。再び日本で家族と暮らす日を夢見て、収容施設で生きる人たち。街中で見かけることはなくても、そんな人たちが日本にいる。外国人なら、劣悪な処遇は当然なのか。そのような立場に置かれてきた人たちの存在を日本社会がどう考えるか。『牛久』を観て単なる入管非難で終わらせてしまうと、本質的な問題を見誤ってしまうだろう。

牛久の「東日本入国管理センター」に続く道(撮影:益田美樹)

※記事初出=東洋経済オンライン(2022年3月22日)

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『水曜日の面会』(フロントラインプレス・益田美樹、2021年3月4日)
『入管職員による外国人の“制圧”映像 毎日新聞が入手し、スクープ』(フロントラインプレス、2022年2月15日)
『なぜこんな冷酷なことができるのか? ウィシュマさんの死と入管 指宿昭一弁護士語る』(フロントラインプレス・本間誠也、2021年12月14日)

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益田美樹
 

フリーライター、ジャーナリスト。

英国カーディフ大学大学院修士課程修了(ジャーナリズム・スタディーズ)。元読売新聞社会部記者。 著書に『義肢装具士になるには』(ぺりかん社)など。

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