現場作業員たちが語り続ける原発事故の“真実” イチエフの全てはここに詰まっている 

  1. 調査報道アーカイブズ

◆一人称で綴られる“事故の真実”の積み重ね

 例えば、2018年5月1日掲載の「事故がなければ 何度考えたか」「避難した息子の成長 見守れず」。語るのはもともとイチエフで働いていた42歳の男性だ。

 福島第一原発で次々水素爆発が起きて、もうあんな所には戻らないと思ったが、小学生だった息子に「父ちゃん。行って闘って」と背中を押され、再び原発で働くことを決意した。福島第一に通うため、避難する家族と離れて暮らして7年があっという間に過ぎた。息子も高校生になった。月に一度しか家族の元に帰れないが、息子は今も帰る日を心待ちにしてくれる。「一緒に住みたい」と言ってくれるが、家族の住む避難先から福島第一に通うのは難しい。息子が小学生の時、バスに乗って1人で会いに来てくれたことがある。ランドセルをしょって、1人で帰っていく姿を見て切なかった。

 男性は結局、息子と一緒に暮らせず、部活動のときなどに会うくらいしかできなかった。

東京新聞に掲載された片山夏子記者の記事

 

 作業のずさんさを淡々と明かす作業員もいる。ケンタロウさん、31歳。汚染水を貯めるタンクの製造に関する話だ。2014年12月7日、「資格のない溶接工だらけ」という記事になった。

 現場の作業員は寄せ集めで素人だらけ。一人前の溶接工になるのには10年かかり、腕のいい溶接工になるにはさらに5年かかる。それなのに、溶接工が足りないからと、きのう今日来た人間にいきなりやらせている、いい加減な下請けがある。イチエフの現場に来てから、タンク増設現場で溶接作業をさせながら、資格を取りに行かせている。つまりイチエフのタンク造りが、そいつらの練習になっているということだ。そんなので完成度が高いわけがない。

 記事のときも書籍になってからも、主人公はすべて作業員だ。彼らが語る言葉の細部に徹底してこだわり、膨大な記録は積み上がった。記事の掲載は書籍の刊行後も続いている。最近では新型コロナウイルスの感染との関わりも目立ってきた。例えば、2021年8月13日の紙面では、47歳の男性が語っている。それによると、「ピンポンパンポン〜。コロナの陽性者が出ました。偏見や差別をしないようしましょう」というアナウンスが流れるたび、作業員はどきっとし、地元の人から出ていけと言われないように、と願うのだ。

 「作業員が英雄視されたのなんて、事故後のほんの一瞬」「ゼネコンはいいなあ。俺らは原発以外仕事がないから、使い捨て」ー。こうした声が散りばめられた一連の記事には、現場でしかわからない事実が詰まっている。「原発事故」「汚染水処理」といった大きな言葉では全く見えてこない真実。その数々が詰まっている。

 本書は講談社本田靖春ノンフィクション賞、早稲田大学ジャーナリズム大賞奨励賞などを受賞した。

 

 

■参考URL

『ふくしま原発作業員日誌 イチエフの真実 9年間の記録』
(東京新聞記者・片山夏子著)
『福島原発事故の30年前に暴かれていた原発下請け労働の実態 「原発のある風景」が伝えたもの』(調査報道アーカイブス No.54)
『20年前の「想定外」 東海村JCO臨海事故の教訓は生かされたのか』(フロントラインプレス)

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高田昌幸
 

ジャーナリスト、東京都市大学メディア情報学部教授(調査報道論)。

1960年生まれ。北海道新聞、高知新聞で記者を通算30年。北海道新聞時代の2004年、北海道警察の裏金問題取材で取材班代表として新聞協会賞、菊池寛賞、日本ジャーナリスト会議大賞などを受賞。

 
 
   
 

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