調査報道は端緒がすべて それを実例から見る 「権力監視型の調査報道とは」【1】

  1. How To 調査報道

◆開発業者の資金を役場が管理 その端緒は?

 資料として配った「中富良野町に裏会計」をごらんになってください。これは相当前の、1993年の記事です。古くてごめんなさい。私が取材しました。リゾートで有名な北海道の中富良野町というところで、町役場がリゾート業者から巨額の現金を預かって、役所の収入役とか町長とか、幹部らが使っていたという話です。民間業者の金を役場が扱っていた。開発業者のために地権者との交渉などを役場が事実上代行してしまっていた。そのための必要経費などです。この一報のときは3770万円預かっていた。しかも収入役が役場の公印で預かっていた。

 この報道の端緒は何だったか。実は、お金を預かる側にいた役場の人です。当事者の1人です。町長も助役も収入役も各課長ら、みんなが関わっていたのですが、その中に「こんな違法なことを後任者に引き継いでいいのかどうか」と、ものすごく悩んだ人がいました。悩みながら、結果的に引き継いでしまった。けれども、本人は思い悩んでいた。

 私は、中富良野町に別件の取材で通っていたことがありました。それで、その方の自宅で「お久しぶりです」と話して、帰ろうとしたら、「朝一番でもう一度自宅へ来てくれ」と。翌朝行ったら「こんなことが役場で起きている。何とか頼む。情けないけど、俺の力ではどうしようもない。私の見るところ、君は信用できそうだ。取材には表向き、俺はもう答えられないけど頼む。今後は知らんぷりする。連絡もしないでくれ」と言って、資料の束を渡されました。読めばわかる、と。

 それで取材を始めた。約束を守って外で当人と顔を合わせても、相手はそしらぬふりをする。わざと。小さい役場です。みんなが何となく、取材に聞き耳を立てている。

◆不正融資の端緒は「内部告発ならこの記者に」と思ってもらえたこと

 それからもうひとつ、破綻した北海道拓殖銀行の関連記事をみてください。
 拓銀は1997年に経営破綻しました。これは経営破綻した直後の記事です。拓銀はその後、いろんな不正融資が表に出てくるんですが、その皮切りに近い記事です。同僚と取材しました。

 私は北海道新聞時代、社会部に在籍する前、経済部で主に銀行を担当していました。だから地元の銀行を中心に多くの知り合いがいた。拓銀が破綻に向かう混乱の中、内部文書が流出するようになってきた。本来は流出するはずもない内部文書も、です。銀行からのリーク合戦みたいなものもあった。その流れの中で、不正融資の資料も取材チームの手に入るようになってきた。

 なぜ内部文書が入手できたか。やはり、日常的な取材が基礎だと思います。経済部で銀行を担当していたときに、毎日のように役員や幹部を夜回りしたり、すすきので付き合ったりしていた。経済部の時が一番、夜回りしました。そういう積み重ねがあって、「こいつだったら信用できるんじゃないか」「内部告発するなら高田だ」と思ってもらえたんじゃないか、と。拓銀関連の不正の報道は延々と続くんですが、そういう経緯があって、生のペーパーも手に入ってくるようになってきたということです。これが1対1の意味ですね。

1 2

3

4 5
高田昌幸
 

ジャーナリスト、東京都市大学メディア情報学部教授(調査報道論)。

1960年生まれ。北海道新聞、高知新聞で記者を通算30年。北海道新聞時代の2004年、北海道警察の裏金問題取材で取材班代表として新聞協会賞、菊池寛賞、日本ジャーナリスト会議大賞などを受賞。

 
 
   
 

関連記事