政治の不正は政治部で、警察の不正は警察担当で 逃げ場を作らず臨む 「権力監視型の調査報道とは」【4】

  1. How To 調査報道

◆専門チームは機能するか

 これを突き詰めると、「調査報道の専門チームは機能するか」という問題に突き当たります。いま、いろんな新聞社で、朝日新聞だったら特別報道部、共同通信だったら調査報道室かな、いろんな調査報道のチームができています。それが機能するかどうか。
 私は、そういう組織をつくっても、それだけで機能するというものではないだろう、と思っています。
 調査報道の主たるものが権力監視だとすれば――きょうは権力監視の話です――権力の近くにいつもいる記者は誰ですか、と。現実、省庁の担当記者、記者クラブに詰めている記者がいるわけです。その人たちがふだん、権力監視をやればいいわけです。その人たちが「俺が取材するのは政策だ。不正の取材は特別報道チームでどうぞ」と言っていて良いのか。そういう流れの延長線上で、当局に都合の良い記者になっていいのか。権力のポチになっていいのか。それだと、絶対うまくいきません。常日頃、その場にいる人がガチンコで勝負せずして、誰がやるのでしょうか。
 では、特別報道チームみたいなものが無意味かというと、そうとも思いません。権力の日常を監視するという形ではなく、別のアプローチによる調査報道があるだろうと。とくに歴史的な視点を必要とするような検証報道。そういったものは、特別なチームが必要です。NHKスペシャルを創るようなイメージですね。
 でも、特にこういう時代に入って、安倍政権がいろいろとプレスに対してプレッシャーをかけているような状態で、一番必要なのは、根本の足元のところで権力機構と向き合うことだろうと思います。それが第一だろうと。調査報道によって、権力の薄っぺらい皮を引っぱがしてやるぜ、みたいな。本当の意味での調査報道は、やはり現場で張りついて見ている人でないとできないし、そういう人が担わない限りは、いまのメディア状況はなかなか変わらないんじゃないかと思っています。

撮影:穐吉洋子

◆会場とのQ&A まずは『時代の正体』をめぐって

 質問 メディアは偏っていると最近言われます。神奈川新聞の「偏ってますが、何か?」という論説記事も話題になりました。それに関連して、いま全体のメディアがどう萎縮しているか、それについてどうするべきか、調査報道からは外れるかもしれませんが、うかがいたい。

 高田 話題になった『時代の正体』に出てくる話ですね。そもそも中立というものがあると思うほうがおかしいのではないでしょうか。中立って、何ですか? 例えば、あなたと、いま私が立っている場所の真ん中に立てば中立ですか? 釈迦に説法みたいな話ですけれども、全てのメディアの報道は、全て誰かの目と頭の中を通って加工編集されているので、その時点で、全て偏っています。そもそも何を取材するかを選択する時点で、既に分岐点を通過しているわけです。選択はイコール、編集です。

 基本的に偏向と中立が対義語であるかのように考えることが変なんだろうと思っています。「偏向」の対義語は「中立」でしょうか? 私は、違うと思う。偏向の対義語は「多様性」だと思います。偏向と中立は互いに相対する概念ではない。

 何か、中立であることが大事であるかのようないまの風潮は、「役所イコール中立」であるかのような刷り込みになりつつあって、行政の立場、行政の言うことが中立、と。これ、変でしょう? 平たく言えば、「おまえは中立じゃない、偏っている」と言われても、「それがどうしたんですか?」という話であって、あの神奈川新聞の記事のとおりですよね。最近は、教育委員会が「政治的中立に配慮して」などという言い方をします。「政治的中立に配慮して、何とかホールでやる反原発の講演会の後援はしません」とか、「県教育委員会はそれをサポートしません」とか。場合によっては、後援の取り消しだけでなく、「会場の使用をそもそも許可しない」とか言い出すわけですね。

 では、中立であるかどうかを一体誰が判断しているか。一役人が裁量権で判断するのか。そもそも、行政に中立かどうかを判断させていいのか。そういう問題が出てきます。「政治的中立」という言葉が一般名詞としてすでに流通し始めている。政治的中立を守れ、みたいな、国体護持みたいな。冗談じゃないんですよ。多分、戦前の感じもこういう感じだったんだろうと思います。

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高田昌幸
 

ジャーナリスト、東京都市大学メディア情報学部教授(調査報道論)。

1960年生まれ。北海道新聞、高知新聞で記者を通算30年。北海道新聞時代の2004年、北海道警察の裏金問題取材で取材班代表として新聞協会賞、菊池寛賞、日本ジャーナリスト会議大賞などを受賞。

 
 
   
 

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